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子猫


通学路の近くには人の寄りつかない山があった。山奥にはボロボロになって今にも崩れそうな神社らしきものがあった。
危険だから近づいてはいけない、と村の子どもたちは教わる。もちろん自分も例外ではなかった。
だけど、子どもの好奇心とは素直すぎて厄介なものだ。
ある日、なんとなくとかいう気持ちでその山に入りいる。かろうじて道だとわかる少しだけ整備された道に沿って歩いていけば、神社に行き着いた。
木造のそれは所々腐っていていくつか崩れ落ちていた。危険だとわかっていながら、そちらに近づく。すると草むらから白っぽい塊が飛び出してきた。
それは社の真ん中で止まり、こちらを向く。
小さな子猫だった。曇り空みたいな毛色と瞳が綺麗な猫だった。
ゆっくりと近づいてみるが、逃げる様子はない。手を伸ばしてその柔く小さな体を撫でれば、子猫は嬉しそうにすり寄ってくる。
思う存分可愛がって、その日は暗くなる前に帰った。
それからは時々帰り道に山へ寄って、子猫に会いにいくようになった。ときには食べられそうな餌を持っていき、ときにはねこじゃらしを持って気が済むまで遊んだ。
抱きしめて、寄り添って、たしかに愛情を注いでいたのだと思う。
しかし、大きくなるにつれてだんだんと山に入る回数は減っていった。
それから大人になって、村を出てから幾年も経った。環境の変化に耐えきれず、とうとう体に限界が来たときだった。
実家に戻るため、電車に乗り込む。懐かしい風景が目の前を流れていくのをぼーっ、と眺めていた。

家に戻ってから、久々に来た村をゆっくりと散歩する。ひどく時間がゆったりと流れるこの場所が好きだった。
そんなことを思いながら、歩いていれば、足はあの山へと向かっていたようで、目の前に広がる草木を見て思い出した。
そういえば、あの子猫はどうなったのだろう。
人の寄り付かない山にたった一匹で、生きていけているのだろうか。いや、そもそも猫の寿命はそんなに長いものだっただろうか。
嫌な予感がまとわりつく中、もうほとんど道らしき道がない山を、記憶だけを頼りに登っていった。
行き着いた先には相も変わらず崩れそうな神社があった。ゆっくりと近づき、ボロボロになった柱にそっと触れてみる。
もう、あの猫はいなくなってしまったんだ、と思うと胸が痛かった。あんなに小さくて柔らかくて、それでも懸命に生きていたその命が尊かった。
ぶわり、と突風が吹き、木が軋む音が響く。何かがこちらを見ている気がして、振り返る。そこには見覚えのある姿の猫が見覚えのない大きさでこちらを見ていた。
曇り空を地上に下ろしてきたかのような毛色と瞳が懐かしさを抱かせるが、いかんせんその大きさに驚きが止まらない。
普通の猫よりも何十倍も大きい。あんまり見たことはないが、多分象くらいの大きさなんじゃないかと思うほどだった。
たっぷり数十秒見つめ合って、先に口を開いたのは向こうだった。
「おかえり」
少年のような少女のような大人のような老人のようななんとも形容しがたい声だった。だけど、今まで聞いたどの声よりもあたたかく包み込んでくれる声だった。
「……うん、ただいま」
込み上げてきた涙はそのままにして、その大きな体に抱きつく。顔をすり寄せてくるのが懐かしくて、嬉しくなりながらそのもふもふを堪能する。
そしてもう一つ思い出すのだ。電車に揺られながら何の気なしに調べた自分の村のことを。
はるか昔、この村は猫を崇めていた、と。猫の神様が村の山に住み着き、この村の平和は保たれていた。いつしか村の人たちは感謝を忘れ、自分たちが信仰していたものすら記憶の彼方へと置いてきてしまったのだ、と。
まさか、この猫が神様なんて言わないよね、と疑問を抱くが、きゅるんとしたその瞳の可愛さにばびゅん、と心を撃ち抜かれてその思考すらも手放した。

さてはて、その話が本当かどうかはその猫しか知らない。

11/15/2022, 1:32:43 PM