未完成の佳作

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「私は夏が一番好きかな」
母は皿を洗いながら答える。
優しく微笑みながら。
何かを思い出しているかのように。

学校で一番好きな季節は何か
家族に聞いてくるように、と
課題を出されたのだ。
高校生にもなってなんで小学生のような
ことをしないといけないのか。
面倒に思いながら根が真面目な
私は聞いたのだ。「なんで?理由は?」
「んー、始まりだから。」
母の考えていること感じていることを
理解できる人はいるのだろうか。
なんだ、始まりだからって。

26年前にそんな話をしたことを
思い出していた。

あのときの元気な母はもう見れない。
病室の窓から見える桜の花は、
風にのって揺らいでいた。

「これ話したの覚えとる?好きな季節が
夏で、理由が始まるからって。
どーゆーことなんか今でもわからんのよ」目をつぶっている母に話す。返答があるともう期待はしない。
もう一度窓を見る。
桜は少し散っていて所々葉っぱがみえる。

「春は桜が散ってしまって悲しいけど、
夏の始まりだと思うと少し嬉しく思えるからよ、お父さんも夏が好きなのよ」
か細い声が聞こえた。
父はもう他界している。
あのときのように、優しく微笑みながら、何かを思い出しているかのよう。
「そっか、」手を握りながら返事をする。
母の一番の理解者は父だったのか。
父の一番の理解者は母だったのか。
私にはわからない。

お母さん、お父さん。
あなた達の好きな夏はもうすぐです。
桜散る季節は悲しいですが。
それは、始まりの合図ですね。
ゆっくり、休んでください。

母と一緒に過ごす夏が来ないまま
私は1人になってしまった。

私は春も夏も嫌いになった。

始まりがあれば、終わりがあることを
知ってしまったから。

    桜散る それは、始まりの合図

4/17/2024, 10:22:03 AM