すゞめ

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『君と出逢って、』

 ことの発端は、電気ケトルで湯を沸かしている間に起こった。
 思い出話ついでに互いの第一印象に触れたとき、俺は彼女に「人畜無害な顔してんのに、なんかチャラそうでヤダった」と、なんとも無慈悲な印象を抱かれていたことを知る。

 俺の本質を鋭く突かれた気がして心臓を抉られた一方で、人と接することの多い彼女は他人の容姿や心象にリソースを割かないことに気がついた。
 ただただ彼女に適当な悪口を言われた俺は、しっかりと頭に血がのぼる。

「それっぽいこと言ってくれやがりましたけど、俺との出会いなんて覚えてないでしょう?」

 カチンときて反論すれば、彼女の視線が白いマグカップから俺に移る。

「え? 私たちが初めて会ったときって、高校の夏に空き体育館で自主練してたときなんでしょ?」
「……」

 それはあくまでも俺の記憶であって、彼女のものではない。
 当時の彼女にとって、俺の存在なんて、ムサくてデカい男子高校生のなかのひとりでしかなかったはずだ。

「それ。当時の俺とどんな話をしたか、覚えてます?」
「え、えぇー……?」

 彼女は記憶を辿るように視線を泳がす。

「れーじくん相手だし、普通に『こんにちは、よろしくお願いします』とかなんじゃないの??」

 ダメだこりゃ。
 こんなの、会話ではなく挨拶だ。
 全くもってお話にならない。

 いくらなにも思いつかなかったからって、当たり障りがなさすぎるだろう。
 彼女の記憶の解像度の雑さに、ため息をついた。

「全然違います。つーか、そもそもなにをよろしくするんですか。交際ですか? それはむしろこちらから、是が非でもお願いしたかったくらいなんですけど?」
「うわダル。適当言ってゴメンって」

 申しわけなく思うなら、せめて最初の枕詞はしまっておいてほしかった。

「でもさー」

 コテ、と俺の腕に頭を寄せて彼女がもたれかってくる。
 電気ケトルの蒸気口から湧き立つ音がグツグツと激しくなった。
 その揺らめく湯気をぼんやりとした視線で追いかける彼女が、ポツリと呟く。

「れーじくんと出会って、私って、こんなにも人を好きになれるんだって……」
「は?」

 サラッと、とんでもない告白を聞かされた気がして、思考が止まる。

「そんな自分に、自分でもビックリしてる」

 そんな俺の様子などかまうことなく、彼女はグリグリと額を押しつけた。

「それは、ウソじゃないからね?」

 このタイミングで、瑠璃色の瞳を不安気に揺らしながら射抜いてくるのはずるいだろう。

「ずっっっる」

 口から飛び出た本音とともに、衝動的に彼女の肩を抱き寄せた。

「は、はあっ!? そうやって拗ねるほうがよっぽど面倒くさくてずるいからっ!!」

 きゃんきゃん喚き始めた彼女の言い分を聞いてあげる余裕はない。

「うるせーです」

 だが、ほかの誰でもない彼女に言われてしまったら絆される以外の選択肢なんて、簡単に消し飛んでしまう。

「いきなりそんな熱烈な告白、真正面から浴びせられたら溶けちゃうじゃないですか」
「じゃあ、その腕、を離してよ……」
「無理です」
「えぇー」
「なんですか、そのイヤそうな顔は」

 肩を抱き寄せている腕とは逆の手で、彼女のマシュマロほっぺを突いてやる。

「無駄な抵抗をしていないで、おとなしく俺に愛され返されててください」
「なにそれー。変な言い回しー」

 よほど俺の言い方がお気に召したのか、彼女の目元がキャッキャと綻び、ご機嫌ゲージが上昇した。

「いいよ?」

 冗談めかしながら彼女の形のいい唇が弧を描く。

「その申し出、受けてたまわろう」
「え」

 軽い口調とはうらはらな、穏やかで慈愛に満ちた笑みに息をのんだ。
 キラキラと眩しいくらいにきらめく彼女の瞳に吸い込まれていったとき。
 ちょうど湯を沸かしていた電気ケトルのスイッチが無機質な音を立てた。
 ハッとして彼女から腕を離し、俺は電気ケトルに手をかける。
 マグカップにお湯を注いで、インスタントの味噌汁の香りが広がった。

「熱いから気をつけて飲んでくださいね?」

 キッチン棚からスプーンを取り出し、沈殿した味噌をかき混ぜたあと、彼女にマグカップを渡した。

「ありがと」

 マグカップを受け取ったあと、彼女は俺の手を引いてベランダ際の日当たりのいい場所を陣取る。

「座って?」

 促されるまま座れば、俺を背もたれにして彼女も腰を下ろした。
 今日の彼女はずいぶんと素直である。
 互いに収まりのいい位置を確保したあと、俺は彼女の腹に手を回した。

「……珍しいですね?」
「れーじくんに愛されてあげてるの」

 窓に目を向けたまま味噌汁を啜る彼女の耳が、わずかに赤い。

「恐縮です」

 その赤く染まった耳朶に口づけた。
 ちょっかいをかけられるのはお気に召さないようで、鬱陶しそうに頭を振って抵抗される。
 ちょっかいをかけるのをやめれば、彼女は愛おしそうに白いマグカップを両手で包み込んだ。
 その姿に、ほんの少しだけ胸が疼く。

 ……休日の彼女の糖度を楽しむためには、おとなしくしていたほうがよさそうだ。
 無防備に日向ぼっこをする彼女に、俺はしばらくつき合うことに決めた。

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いつもありがとうございます。
白いマグカップのモヤモヤは2025/10/07のお題『静寂の中心で』で触れています。
遡るのが大変かと思いますが、ご興味がありましたら目を通してくださるとうれしいです。
※pixivにて『静寂の中心で』を掲載してみました。
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5/5/2026, 10:56:12 PM