桜河 夜御

Open App

『空模様』

 青い空が、見てみたかった。

 今日の天気は晴れ。雲一つ無い快晴で、すっきりとした青い空が広がっている。
 その筈なのに、出会う人はみんな傘を差している。
 幼い頃は、それが普通だと思っていた。だって、みんなそうだったから。
 雨が降っていても、降っていなくても、外でも室内でも関係ない。いつでも、どこでだって、誰もが色とりどりの傘を広げていた。
 それが当たり前の光景で、綺麗だとすら思っていた。
 けれどふと、浮かんだ疑問。
 ――何故、室内で傘を差してるのか?
 廊下を歩く人々を見ながら、つい口をついて出た言葉に、一緒にいた友人は不思議そうな顔をして答えてくれた。
「室内で傘を差してる人は見たこと無いなぁ。それに今日はこんなに良い天気なんだから、誰も傘なんて差してないよ。外は気持ちよさそうだよね」
「そっか……うん、そうだよね」
 友人の頭上は、土砂降りの雨だった。
 そこで、気付いた。自分の感じている天気と、友人の言う天気は別物だと。
 ならば自分に見えている土砂降りの雨は何なのか。
 それが分かったのは、数日後。友人が亡くなったという報せが届いた時だった。
 友人は何も言わなかったけれど。他愛もない話をしたあの日には、もう寿命の宣告もされていたらしい。
 あの雨は、そういう雨だ。そして今、友人と最後の別れをしている人々にも、雨が降り注いでいる。もちろん、自分にも。
 だからこの場は室内なのに、みんな心に色とりどりの傘を差していた。
 土砂降りで傘だらけの会場内とは裏腹に、外はあの日と同じ快晴。傘なんて必要ないのに、歩く人々はやっぱり傘を差していた。

 けれど心の傘に気付いても、どうしようもなかった。
 悲しいことがあれば心に雨が降る。それは分かったし、悲しみが和らげば自然に止む。
 なら、心に雨が降っていなくても傘を差している人たちは?
 彼らは何故、ずっと傘を差しているのか。雨が降っていないのなら、もう傘は必要ないはずだ。それでもずっと、彼らは傘を閉じないでいる。
 そもそも、本人たちに傘を差している自覚はないのだから、こちらからアプローチのしようがない。
 もう雨は降っていませんよ、傘はもう必要ないですよ、と。そんなことを伝えたところで、不思議そうな反応をされるだけなのは目に見えている。
 だから。傘を閉じれば、きっとその人の心には青い空が広がっていると。思うだけで、何もできずにいた。
 そんなある日のこと。
 自宅で寛ぎながら、何となく見ていた音楽番組。写り込んだ観客も出演者も、誰も彼もが室内なのに傘を差している。もう見慣れた光景だ。
 カメラが変わり、これから歌うのであろう人物が中心に映る。
 その人も例に漏れず、傘を差している。何か悲しいことでもあったのか、心には雨も降っていた。
 あんなに雨が降っているのに、そんなことは表に出さずに、まるで悲しいことなど何もないかのように、歌い始める。
 綺麗な歌だ。けれど悲しく、切ない歌でもあった。
 つい、テレビ画面を見つめて聞き入っていると、再び観客席が写り込む。
「傘が……」
 それは初めて見る光景。
 雨は止み、傘が閉じていく。雨が止んだ心には虹がかかり、青い空が広がっていく。その心は、あまりにも美しかった。
 傘のない人々の心は美しい。
 こんなに美しい景色を生み出すその人は、歌いながら、やっぱり雨が降っている。
 この人だって、雨が止めば、その心は美しいだろう。
 初めて見たその美しさを、みんなに、あげたいと思った。

 青い空を見たあの日から、その美しさに取り憑かれたかのように、同じ景色を求め続けた。
 自分には、あんな歌は歌えない。ならば何が出来るのか。
 たくさんの人と話をした。誰かの後悔や残念の話を聞いて、雨を止ませることができる人と知り合った。けれど、自分には同じようには出来なかった。
 とある舞台観劇で、演技で魅せて観客の雨を止ませた役者を見た。けれど、同じ舞台には上がれない。
 ……雨を止ませることができるのも、才能だと悟った。
 自分は持って生まれなかった才能。努力だけでは埋められない。努力は報われないし、誰にも理解されることはない。
「空は今日も、青くないね」
 分かっていても、ずっと、青い空が見たかった。

                    ―END―

8/20/2023, 6:09:52 AM