【68,お題:踊りませんか?】
綺麗な満月が空に浮かぶ、秋のとある日
冷たい空気を胸いっぱいに満たして、私は1人崖の上に立っていた
目眩がするほど高いこの場所に、しかも深夜に来たのにはちゃんと理由があった
薬草がほしい
私の母は病気だ、そして家は貧乏だ
医者に見せる金もない、そうなれば自分達でなんとかするしかないわけだが
生憎、私に医療の知識はない
どうにか治す方法をと、いろんな人に聞いて回って
なんとかかき集めた情報が
満月の夜に数時間、人目のつかない山奥の崖の上に咲く、と言うこと
場所は昼のうちに目星をつけ、今は開花を待っている状態な訳だが
何せ秋の山奥だ、寒いし夜に起きているせいで眠たい
「...ッダメ、寝るな私」
ズッと鼻を啜り、眠い目を擦ってどうにか目を覚ます
寒いからだろう、いつもよりも眠たい気がする
だがここで寝たら、薬草を持ち帰れないどころか私まで帰れなくなるかもしれない
「...~~♪~、~~~♪」
寝るわけにはいかない、目を覚ますために最近聞いた曲を口ずさんでみる
どこで聞いたんだっけ、ピアノのゆったりした曲で......ダメだ余計眠くなってきた
とりあえず無言になるよりはましだと思い、そのまま歌い続ける
夜の冷気が喉に染みて、途中に何度か咳き込んでしまった
ザッ...
「...!」
突然草を踏む音が聞こえ、私は口を閉じる
サァッと血の気が引くのを感じた、猪...熊だろうかどっちにしろ今は鉢合わせたくない相手だ
しかし、相手は予想だにしない人物だった
「こんばんはお嬢さん、良い夜だね」
「あな...たは?」
いつの間にか私の後ろにいた、白髪の青年
白いシルクハットとマント、道化師という言葉が似合うであろう背の高い青年は
ゆっくり私の方に歩いてくると、恭しく頭を下げ手を差し出した
「ぼくは...、ちょっと事情があってね、失礼かもしれないが名乗れないんだ
...こんなに月も綺麗なことだし、貴方の歌で1曲どうかな?」
「えっ、でもその...私踊ったことない...」
「大丈夫、ぼくがリードする」
軽く手を引かれて、ぽすんと彼の腕のなかに落ちる
顔を上げると穏やかな笑みで、歌ってと促す彼の姿があった
私がたどたどしく紡ぐメロディーに合わせ、彼はゆっくり身体を揺らし
驚くほど優雅な手付きでステップを踏んで見せた、きっと踊り慣れているのだろう
彼の動きに合わせると、自然と足が動くように感じる
「なんだ、上手じゃん」
月明かりの下の短い舞踏会
私が歌い終わったのと同時に彼の後ろで小さく花開くものがあった
「あっ、咲いた!」
パッと手を振りほどいて駆け寄る
淡い光に照らされ咲く小さな薄紫の花、間違いないこれだ
「良かった...これで母さんも...」
「えっ」
ふと後ろで面食らったような声が聞こえ、振り返ると
不自然な格好で固まっている彼の姿があった
「どう、しました...?」
「いやっ、何でもないよ...ぼくはもう行くね」
ザアッと風が吹き、顔を庇って下を向く
視線を上げた時にはもう彼はいなかった
最初から最後まで不思議な人だったな...
薬草を大事に抱え、暗い山道を下りながら考える
もしかして彼は、私が自殺しようとしてると勘違いしたのではないだろうか
だって普通ならば私のような年齢の人間が、1人で山になど入らない
止めようとしてくれて現れたのなら、彼は優しい人だ
家に着く、明かりがまだ点いていた
身体がよくないというのに、母は私を待っていてくれたのだろう
木で出来た扉を開けて光の中に飛び込む
「ただいま母さん、さっき凄く優しい人に会ったんだよ」
10/4/2023, 11:50:29 AM