薄墨

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淡い風がひんやりと吹いている。
気がつくと、花冷えの中を歩いていた。
道の脇には、満開の桜が溢れている。

花びらが雨のように落ち続けていた。
ひらり、ひらり、と薄桃色の桜が、やさしく冷たく吹き付ける風の中を軽やかに落ちてくる。
花が途切れる場所は見当たらない。

これだけ花が降っているのに、頭上に広がる満開の花たちは、どの枝にもすずなりに咲いて、隙間なく咲き誇っていた。

ここの桜は無限なんだろうか。
桜はひらり、ひらり、と降り続けている。

辺りを見回してみれば、一人だった。
前にも後にも満開の桜が、ただただ降り注いでいた。
周りに人気はおろか、動物の気配すら感じない。

ただ、ほのかに淡い、ひらり、と上品に吹く冷たい風が桜の花びらを弄ぶだけだった。

花びらが降ってくる。
ひらり、ひらり、と。

先は見えない。
後ろも見えない。
ただ、寒い淡い風が、たまにどうっと急足で抜けていく。

胸の奥から、冷たい何かが込み上げてくる。
それは一度触れてしまえば、二度と帰ってこれない予感がするような、不思議な怖さを持って、心を蝕みに来た。
体が、ひらりひらりと、花の中に溶けていくような気がする。

脳が孤独を叫んでいる。

花びらが降ってくる。
ひらり、ひらり、と。

自分がどうしてここにいるのか。
ここがどこなのか。
皆目、見当もつかなくなってしまった。
枝からこちらを見つめる、大勢の桜たちは皆、沈黙していた。
耳の奥の細胞が動く音が聞こえる。
それほど、何の音もしなかった。

小さく声を出してみた。
しかし、声は土砂降りの花の中に、静かに吸い込まれていった。
もう一度、今度はもう少し強く、声を出してみた。
枝を埋め尽くす満開の桜たちに、声は吸い込まれていった。
喚いてみた。叫んでみた。歌ってみた。
泣いてみた。喉が枯れるまで、騒いでみた。

しかし、孤独が止むことはなかった。
音がこだますることはなかった。
胸から込み上げる花冷えのようにあっさりと形の無い怖さが、逃げ出すことはなかった。

花びらが降ってくる。
ひらり、ひらり、と。

淡い風がひんやりと吹いていた。
辺りは満開の桜で溢れていた。
花びらが音もなく、ひらり、と降り続けていた。

走ることも、乱暴もできずに、私はただ、花冷えの中を歩いていた。
花びらが降ってくる。
ひらり、ひらり、と。

3/3/2025, 10:54:20 PM