ある文官の処刑(テーマ 太陽のような)
1
ある中世ヨーロッパ「風」の世界の話。
一つの王国があった。
王は国を運営するため、貴族を使う。
貴族も身分の高低から影響力の有無まで様々であったが、それぞれの立場から貴族たちは王と一緒になって国を運営していた。
民主主義ではない国だ。
貴族は権益を守るために民に税を課し、平民は当然のように搾取された。
そういう国の話だ。
国の組織の上層部にかろうじて足を引っ掛けたくらいの職に、一人の貴族の青年がいた。
彼は王の意志に従って国の決まりを作ったり、決まりに従って貴族を動かしたりする、今の日本で言う官僚のような仕事をしていた。
彼は、それまでは主に上司の指示に従って地方の小貴族や平民の商家などに通知を出したり税の取り締まりや争いの執り成しなどをするための仕事をしていた。
彼は、自分のその仕事を『言われたことをやるだけの小間使い』だと思っていた。
そのため、昇進し、彼自身が裁量権を持って自由に仕組みや決まりを作る立場になった時、彼は喜んだ。
もちろん、彼は王様ではないため、できる範囲に限りはある。
しかし、彼は『小間使い』をしている間にしてみたいことが溜まっており、また、『自分だったらこうするのに』と思っていることもたくさんあり、その中には、いくつかの仕組みを変更することで多くの人が利益を得て、また、国の収益も増すという理想的な案もあった。
2
彼は早速、貴族たちへの根回しを始めた。
平民の商家は金を持っている。貴族たちは権力や影響力を持っている。
彼は平民の商家に『いい話』として、仕組みの変更にって得られる商家の利益を説いた。
商家の利益自体は大きくなかったが、案はうまくいくように思ったこと、何より、貴族が商家の利益のことも考えて動いてくれたことに心を動かされた商家は、ある程度の『協力金』を彼に払った。
彼は、その協力金を元に影響力のある貴族に会いに行き、付け届けを行い、仕組みの変更によって得られる貴族の利益を説いた。
貴族は、付け届けと、うまく行った場合の利益についてきちんと考えていること、そして何より提案の順序を間違えず、礼を失していないことに満足し、彼がその案を上司に出した時に賛成することを案に仄めかした。
彼はそれを繰り返し、渋る貴族がいたら商家に付け届けを増やしたり、その貴族の上の人間を説得したり、また、仕組みが回り出したときの利益供与の輪に組み込んで『自分ごと』にしたりと、労を惜しまず立ち回り、最終的に案を通すときには、反対するものが誰もいない状態まで持っていった。
そして、彼の新しい仕組みはめでたく通り、王国は複数の立場の人間にとって利益があり、損をする人間は特にいないという、改善が行われた。
そのそつない動きは周囲の貴族にも、そして、国の責任者である王の目にも留まった。
彼は、王から呼ばれ、これからもその活動に期待すると、直々にお褒めの言葉を賜る栄誉を得たのだ。
3
彼は王から認められたことを非常に喜んだ。
今代の王は、多くの場合公正で、多くの貴族の支持も得ており、名君であると評価を得ていたし、彼自身も王を尊敬していたからだ。
それは、彼の動きや思想まで認められたものだと、彼は思った。
彼は次の動きを始めた。
しかし、『小間使い』を脱した彼が次に目指すのは、王に褒められた『誰もが特をする状態に持っていく』ことを繰り返すのではなく、彼自身が、付け届けをした高位の影響力のある貴族の立場になることだった。
彼は、施策を進めるために影響力をつけていたのに、段々と影響力を増すための施策や利益供与のための事業を行うようになった。
それは、彼にとっては言い分のあることだった。利益を配分された貴族たちも、最初はありがたがっていた利益供与に慣れていき「協力するためには何かを差し出すのが「当たり前」と思うようになり、次は「より多くの利益を渡さないと協力しない」と脅してきた。
自分の影響力を増さないと、大きな事はできないのだ。
彼は、腹案をいくつか同じように根回したが、『誰もが特をする理想的な案』というのは早々あるものではない。
彼は付け届けのための資金を得るために商家に主に利益を供与し、あまり味方のいない貴族や、一部の平民に損をさせる仕組みを作り始めた。
損をする側の人間はもちろん反対するが、影響力がある貴族たちには利益を供与する形にしたため、反対意見は押しつぶされた。
彼の部下で、彼の言う『小間使い』をしている年若い貴族の少年は、彼に言った。
「この案では、声の小さい者たちが損をするだけではなく、その者たちが協力しなくなった時、長期的には王国に不利益が出ませんか?」
彼は、部下に言った。
「大きなことをやるためには、大きな影響力が必要だ。大きな影響力を得るためにはとにかく実績を積むことで、実績とはつまり、どれだけ多くの貴族や商家に利益を回したかということだ。ある程度はこういうことも仕方がない。」
「しかし、今回損をする者たちは、黙るだけで終わるとは限りません。国を見限って別の国に行ってしまうなどのおそれもあります。」
部下は、損をする者たちの中に平民の職員が含まれていることを気にしているようであった。
「そこまで気にしていては何もできない。今は私が私の責任で物事を動かしている。君は黙って言われたことをしてくれたまえ。できないなら別の者にやらせるまでだ。」
部下は引き下がった。
しかし、その部下は個人的に国の上層部の上澄みとつながっていた。
4
引き下がると同時にこの国の宰相の元へ走り、彼が暴走を始めているのではないかと懸念を話した。
宰相は少し考えると、答えた。
「お前の血筋と才は両方とも常人離れしたものがあると、私は思っている。だから、こうして立場を超えて直言を許すようにしている。しかし、今回のことは経験不足が出たかな。まだこの段階では何とも言えないのだ。」
部下は食い下がる。
「職人が逃げてしまうと、今はささやかですが、国の特産が減ることになります。」
「そうなった場合、国全体としては損失なのは確かだ。しかし、その損失の量に比べて、王の覚えがめでたい彼の実績と手腕は多い。その天秤が逆転しない限り、彼が罰せられることはないだろうよ。」
「実績よりも損失が逆転するほどのものであれば、逆転した時には、あの人は不興を買うだけでは済まないのではないですか。」
宰相は部下から目線を外し、窓の外を見た。
「そうだろうな。彼の進み方によっては、王に『国に益より害あり』と判断される頃には、取り返しが付かない状態になっている可能性もある。」
「・・・止めないのですか?」
「今は彼は王の覚えがめでたい。彼に下手に反対すると、彼が根回しした貴族たちのみならず、王の不興を買う可能性がある。太陽に近づきすぎるとこちらが焼かれる。立場とタイミングは考えなければね。」
「なんだか、あまり危機感を感じられていないように思われます。」
宰相はこちらを向いた。
「わかるかね。そのとおりだ。私は王をよく知っている。彼は太陽のような王だ。明るく、公明正大で、皆を照らす。しかし、太陽は太陽の理屈で動いている。彼は国を適正に運営するためにその神経を使っている。その判断において、たかが文官一人の暴走を処断するタイミングを間違うとは、私は思わない。」
5
文官の彼に話を戻す。
彼は商家から集めた金を溜め、『自分が巨大な利益を得るための仕組み』を通すための付け届けをし始めた。
貴族たちにももちろん金を渡すが、仕組み自体は『平民から利益を吸い上げ、最も利益を得られるのは彼自身』というものであった。平民といっても、商家は彼の金蔓であるため枠から外し、地道に畑を耕している多くの国民が搾取の対象であった。国民に少しの負担を強いて、別の少しの利益を与える。その仕組の間に彼自身が入り、負担と利益の間の僅かな、ほんの僅かな額のお金と、負担を吸い上げる仕事と、利益を与える仕事を割り降る大きな権益を手に入れる。
僅かなお金といってもそれは平民一人あたりの話で、国民全体で見ると大きな額であった。
そして、彼が莫大な付け届けでその案を上奏したとき、彼は逮捕された。
6
繰り返すが、ここは中世ヨーロッパ「風」の国だ。
この国では、明文化された法は現代日本と比べ物にならないほど少ない。
こういう国では、権力者の権力は強く、法などの『決まり事』の力は相対的に弱かった。
彼の逮捕には明確な理由はない。
『王の不興を買った』という事実の前に、そんなものは不要であった。
また、彼が付け届けをした多くの貴族たちは、今回の彼の『仕組み』には大きく組み込まれておらず、単に賄賂をもらっただけであったため、彼を弁護しようとまえはしなかった。
彼は逮捕からの拷問であっさりと仕組みの全体像を吐き、しかし『それのどこが悪いのだ』と叫んだという。
彼の疑問に答える必要はなかったが、拷問官は親切にも答えた。
「王様は、自分の国にこれ以上寄生虫を作りたくないんだろうよ。」
彼は無実と釈放を訴えたが、結局彼は処刑された。
7
彼の処刑は、国民の前で行われた。
処刑場は、国民を苦しめる仕組みを作ろうとした悪い代官の処刑、として、多くの国民が集まって大盛況であった。
その処刑場を遠目に見る宰相と彼の部下。
宰相は部下に諭すように言った。
「太陽は明るく、暖かく、我々がものを見るための光をくれる。ありがたい存在だ。
だが、同時に太陽の光は強すぎると雨を遠ざけ、作物を枯らせ、暑さで生き物を殺す。
そして、陽の光は影も生む。すべてを照らす光など、ないのだ。
我々は、太陽をありがたく思い、太陽のもとで我々がいかに強く幸福に生きられるかを模索しなくてはいけない。
それが、王に対する臣下の在り方というものだ。
しかし、太陽の方を自分の都合よく動かせると錯覚してはダメだ。
彼は、自分の心の中で太陽が自分の都合よく動いてくれると、勘違いしてしまったのだ。」
要するに、畏れが足りなかったのだ。
部下の少年の視線の先で、かの臣の首が落とされた。
初めて間近で見る処刑に、少年に宰相の言葉がどれほど響いたのかはわからない。
少年にとって、その王はそれまでもそれからも変わらず「太陽のような存在」であったから。
しかし、少年にとっての「太陽」の定義は、「暖かく正しく明るいだけのもの」から「 暖かく正しく明るいが、熱く冷酷で影も生む存在」に変わった。
少年が『小間使い』から卒業するまでは、まだしばらくの時間が必要そうであったが、少年は彼のようにならないためには、それでよいと思った。
2/23/2024, 9:55:25 AM