My Heart
「本当に入れんのか? まあ、胸ならなかなか見えることはねえと思うが」
刺青師にそう聞かれた。
「はい、大丈夫です。早くお願いいします」
「そうか。…始めるぞ」
ああ、これでやっと僕の体にも心がある。僕にも心があることになるんだ。
「終わったぞ」
「ありがとうごさいました」
「本当に後悔はないのか」
「そんなもの、あるわけないじゃないですか」
胸から少しの痛みはあるものの今の僕の興奮からか、大した痛みは感じなかった。
僕はついにこれが僕の体に刻まれた満足感で満たせれ、今までの苦痛を思い出していた。今ではあの頃もどうでも良くなってくる。乗り越えた気がする。
僕は昔から感情の起伏が限りなくゼロだった。小さい頃から泣くことはほとんど無く、笑うことも、怒ることも、悲しむことも、苛立つことも、恋による感情の昂ぶりも、何もなかった。
そのせいで幼稚園・小中学校は気味が悪いと言われ、「すまし顔が腹立つ」と言われいじめを受けた。こいつは何も感じないから何をやってもいい。あいつらはいつもそう言っていた。あいつらもバカではなかったから、後が残るものは服で見えない部分だけにされた。それ以外のいじめは正直あからさまで普通に生きていた人間ならわかるはずだ。それなのに学校の先生は絶対に注意することはなかった。
それに、両親も僕に冷たかった。まあそれはそうか、小さい頃から全く泣かず、喜んではしゃぐことはない。かつ、それを不審に思って病院に行ってもどこの医者も「異常なし」だった。僕の家はお金だけはあったから、本当に色々な病院施設をまわった。それでも、結果は出なかった。
何かしら僕に異常があった方がまだ僕の人生はマシだったかもしれないと思っている。両親もそう思っていたことだろう。この僕の異常が病気である方が安心しただろうと思っている。人間は不確定なものを怖がるから。
僕が病気でも何でもないとわかった頃、両親の仲がさらに悪くなった。原因は十中八九僕だった。「お前の教育が悪い」だの、「貴方が私達をほったらかしにするのが悪い」だの、
そんな喧嘩をご丁寧に僕の前に毎日のようにやっていた。そんな最悪な状況の中、妹が生まれた。
そこから家族の状況は一気に良くなった。僕を除いた僕の家族が、だ。
僕の妹はよく泣き、よく笑い、よく悲しみ、よく喜ぶ、そんな子だった。まるで僕の分の感情を持って生まれた、僕の落とした感情を全て拾って生まれてきたといってもおかしくない程、感情が大きく動く子だった。
そんな妹は両親にすごくすごく、それはそれは可愛がられた。僕の分の愛を注げられているようにも見えた。
そして、僕の両親からの愛と関心が完全になくなった。愛はもはや最初からなかったかもしれない。
だから、僕がいじめられて傷だらけになっても気が付かなかったんだろうね。
「あはは、本当に悲惨な人生。うけんね」
誰も居ない部屋で一人何もせず、ただただ惰性を謳歌する。僕は高校進学と同時に家を追い出された。追い出されたと言っても、お金は毎日振り込まれるし、家賃も払ってもらっている。きっと、あの家族の中で僕は邪魔者だったんだろう。
自分の胸に手をあてる。…うん、僕の心は動いている。
あの刺青師の顔、あの顔はなんだったのだろう。今まで僕はあんな顔見たことはなかった。
これまで僕に向けられた顔にあんな表情を向けられたことはなかった。いつも僕に向けられる表情は、侮蔑や軽蔑、同情、苛立ち、恐怖、嫌悪、罪悪感、…悲しみ。
そうだ、彼の表情は悲しみの顔に似ていた。あの時の母親と、同じ顔。そうか、悲しかったのか。彼は悲しかったのか。でもどうして? …わからない。それに彼の顔には悲しさ以外の何かがあった、気がした。まあどういいか、別に。僕には関係ないし。
「はあ、明日学校に行かなくちゃ…。嫌だなぁ」
高校は今までとは違って僕をいじめる人間は居なかった。だれも僕を見てはいなかった。
僕のもともとない心が凍った感じがした。
そんな僕のターニングポイントになったのは一人の女の子だった。運命だと思った。
彼女を見た瞬間、僕の心が、その時をもって誕生したんだ。その瞬間から僕の人生は始まるんだ、そんな気分にすらなった。
このときから僕の心はここに存在したんだ。この、入れ墨をいれたここに。確かに存在しているんだ。
彼女に振られるまでは。
僕は彼女にすぐにコンタクトを取りに行った。僕は人と話した経験がまともになかったから、本当にひどい有様だったと思う。普段話さないから声もガサガサ、目をまともにあわすことは出来ない、すぐにどもってモジモジしてしまったり、見た目に気を使うなんてことはしたことはなかったから髪はボサボサで、本当に酷かったと思う。
実際に、彼女のすぐ横に居た女の子は僕を見てギョッとしていた。
でも、彼女は違った。彼女はこんな僕に対して優しく接してくれた。しかも名前も覚えていてくれたんだ。そして彼女は「ずっと話してみたかった」って僕に言ったんだ。
僕はとても嬉しかった。こんな僕にこんな風に接してくれる人間は初めてだったんだ。
そこから僕は変わった。まずは髪を切りに行ったんだ。本当は人に髪を切ってもらうなんてことは怖かったけど、彼女のために勇気を出して行ったんだ。
でも思っていたより怖くはなくて、僕は少し自信がついたんだ。そして会話をもっとちゃんと出来るようにするために会話の練習を始めたんだ。一人で会話をすることが出来ないから、ぬいぐるみを買って。彼女の名前をつけて毎日会話をしたんだ。おかげでそれなりに会話が出来るようになった気がした。
その他にの色々、自分磨き?をした。僕がそうやって色々やっている間も、彼女は僕とお話をしてくれたんだ。髪を切った後に会いに行けば、かっこいいと褒めてくれた。
僕が新しいことに挑戦すれば応援し、出来るようになれば褒めてくれた。それだけでも嬉しかったのに、彼女は僕に色々なことを教えてくれたんだ。
勉強や言葉使いや、寄り道なんかも教えてくれた。僕は今まで学校と病院以外に外に出ることはなかったから、毎日が新しいの連続だった。周りの目が少し鋭くなった気がしたけれど、そんなことが気にならないくらいには毎日充実していたんだ。それに、周りの目が鋭い気がするといっても、彼女のクラスの人達は僕に優しくするようになったんだ。
でも、そんな日々は長くは続かなかった。
僕はしばらく経った後、彼女に告白をしようとしたんだ。彼女が教えてくれた本を読んだんだ。彼女の教えてくれた本は、好きになった相手に告白をして付き合うというという本だった。恋愛小説? というジャンルの本らしい。
好きという感情はよくわからなかった。だけど僕はきっと彼女が好きなんだと思った。だから、告白しようと思った。
だから彼女との約束を破って、彼女に会いに行ったんだ。
「私から君に会いにいくから、君は私を待ってて。君は私を呼びに来ないでね」
これが僕と彼女の約束だった。この彼女の会いに行く時間とは放課後のことだった。でも、僕はお昼休みに彼女に会いに行ったんだ。
僕は彼女と「放課後デート」をしてみたかったんだ。告白は大事な、一大事なことだって学んだから、髪の毛もセットした。
彼女のいる教室に近づくにつれ、彼女と彼女の友達のよく通る声が少しづつ聞こえてきた。
僕の心は抑えきれないくらい、飛び出しそうなくらい動いていた。
彼女たちが何を話しているか聞こえるくらいの距離になった。
そこで聞こえてきたのは信じれられない言葉たちだった。
「てかさ、あんたまだあいつのこと連れ回してんの?」
「当たり前じゃーん。てか、本番はこれからだしぃ。みんなもありがとねー、うちの遊びに付き合ってくれてぇ」
あいつ? 遊び? なんだろうか。
僕は彼女の教室のちょっと前で立ち止まった。
「別に良いってことよ。だけど、なんか面白いことあったら共有してよね〜?」
「それな!」
クラスの誰かがそういった。
「実際まじであいつちょろいんだよねぇ。最初話しかけられたときはびっくりしたんだけどさ、あいつん家金持ちなこと咄嗟に思い出してさぁ」
「あー確かそうだったよな」
「そうそう。だから仲良くしておこーって思ってさ。そしたらもうびっくりよ。あいつ、私になんでも奢ってくれんの。あいつあたしにほれてるかもねー」
「まじかよ、うらやま」
「あんたには無理よ。だっけあんた中学の頃のいじめの主犯格じゃん。ばれるって」
いじめ、中学、その言葉が僕の頭を通過した。
「まじかー。てかあんたなんでバレてないわけ?」
「あたし親のあれで苗字変わってからさ。あいつの前で喋ったこととかほぼないしー。いっつも下向いてたから顔もロクに見らられてなかったかんねー」
僕は気がついたら、彼女のクラスのドアに手をかけていた。
「それでさー…」
「ねえ、どういうことなの? 今の話」
「は? 今の話ってそりゃあ、あの大まぬけの…ってあれ。なんでここにいんの?」
「なんでって、今はそんなことどうでもいいでしょ…? ねえ、どうして? 僕のことを…騙してたの?」
僕がそういった瞬間、彼女のクラスの人が僕を嘲笑った。
「ウケる、逆に今まで気がついてなかったんだぁ。そうだよあんたが金持ちだって知ってたからさ、だからわざわざお前みたいな気味が悪い怪物に対してあんなに優しくしてやってたの」
僕の心が、さめていく気がした。
「やばっ、全部いっちゃってんじゃーん」
「いいのいいの。そろそろめんどくなってきてたし。次のカモに変えよかなって思ってたとこだしねー」
「ねえ、…ねえ!」
僕が大声を出して話しかけると彼女は僕をうざそうに見た。
「え、まだ居たの? 何? 何の用? てかその髪型ウケるんだけど。何? そんな決めちゃってさ。あ、まさか告白!? 私に? …ウケる、まさかとは思ったけどほんとにあたしに惚れてたんだねー。かわいそ」
その言葉を聞いた瞬間、僕は彼女のクラスを飛び出した。
そしてそのまま衝動のまま、入れ墨を入れにいった。
彼女によって誕生した僕の心が、死んでしまうような気がして。
だから、死ぬ前に、僕の心を僕に留めて置きたくて。
だから僕は、胸に僕の心、「My Heart」を刻んだんだ。
はあ、学校のために早く寝なきゃ。
3/27/2023, 2:38:07 PM