〈波にさらわれた手紙〉
〈8月、君に会いたい〉
8月になると彼女を思い出す。
暑い日の昼だった。眩しい太陽の下、暇だった私は一人海で泳いでいた。
ふと先を見ると、網がぷかぷかと浮かんでいた。中には大きな青いヒレ。ひょっとしたら珍しい魚かもしれない。好奇心が不安を上回り、私は網を持って陸へ戻った。
中のものを見た時、私は小さく悲鳴をあげた。そこにいたのは、足が魚のような人間、つまり人魚だったのだ。私は目を疑った。夢でも見ているのではないかと思った。というのも、私の住む島では人魚なんて全く知られていなかったからだ。
叫んで、逃げようとしたその時、さっきまで死んだように動かなかった人魚が突然声を出した。歌うようなその声は私の胸を安心感で満たした。
振り返ると、人魚がこちらを見ていた。今まで気が付かなかったが、私と同じぐらいの年齢の女の子だった。長い銀色の髪に、空色の鱗。彼女は晴れの日の海のように美しく輝いて見えた。
彼女がもう一度喋った。私の知らない、音楽のような言葉。彼女の表情から、「助けて」と言ってるのだろうと思った。
「大丈夫だよ。何もしないからね。」
怖がらせないように、出来るだけ笑顔で言った。まだ恐怖は完全には消えていなかったが、今は彼女を助けたいという気持ちの方が勝っていた。
幸い、彼女に怪我はなかった。ただ、誰かが落とした魚取りの網のせいで身動きが取れなくなっていたらしい。網を全部外すと、彼女は太陽のように笑い、海へ飛び込んだ。水平線へ消えていった尾鰭を見て、安心感と同時にほんの少し寂しさが残った。
それから2、3日経った頃、私はまたあの海に行った。砂浜でぼんやりと座っていると、あの歌うような声が聞こえてきた。いつの間にか、そこに彼女がいた。驚いている私の手を、彼女の真っ白な手が握った。何かを握らされたのを感じ、見てみると滅多に取れないご馳走、「泡の子」と呼ばれる深海の植物だった。思わぬプレゼントに唖然としていると、彼女はにっこり笑って泳ぎ去ろうとした。
「待って!」
急いで彼女を呼び止めると、ポケットに入れていた宝石を取り出した。洞窟で簡単に拾える物なので大した価値はない。それでも、網を解いたことと「泡の子」では全く割に合わないので少しでもお礼をしたかったのだ。彼女は宝石を見るとぱっと青い目を輝かせた。
次の日も、そのまた次の日も、彼女は「泡の子」を持って現れた。その度に私は色々な宝石を渡した。私と家族では食べきれなくなった「泡の子」を売るようになってから、私の家は随分裕福になった。彼女の服もだんだん豪華になっていったので、人魚の国では宝石は高く売れるものなのかもしれない。
だんだん私たちは一緒に過ごすようになり、身振り手振りで少しだけ話すようにもなった。同じ歳の子が少なく、いつも寂しかった私にとって、彼女との時間は特別だった。そんな日々が2ヶ月ほど続いてから、急に彼女が来なくなった。毎日毎日、朝も夜も待ち続けたがとうとう彼女は現れなかった。季節に合わせて棲家を変える魚達がいる。もしかしたら人魚もそうなのかもしれない。
一年が経ち、また8月がやってきた。それでも彼女は現れなかった。
紙に彼女と私の絵を描き、宝石と共に瓶に詰めた。瓶を海に投げ込むと、波が遠くまで運んでいった。
あの手紙が彼女の元に届きますように。
そして、もう一度会えますように。
8/3/2025, 7:23:18 AM