瑞希

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漫画やアニメの見すぎだと言われそうだが、私は「人生」を道と表現することが好きだ。

たくさんの選択をして、たくさんの後悔をして、けれど人は皆同じ場所に行き着く。振り返っても、もう後ろに進むことは出来ない。途中がどうであれ、結局一本道なのだ。後悔のない生き方なんて出来ない。でも、私が死ぬ時、道の終わりにたどり着くとき。笑えていたらいいと思う。

『仮死化』という、私の好きな曲がある。
あるリズムゲームの為に書き下ろされた曲なのだが、フルの歌詞を見た時に、少し泣きそうになった。
『消えたくて生きた今日があるならどちらも嘘にはしなくていいから』という歌詞が、私に刺さったのだ。

今となってはどうして病んだのかも分からないけれど、私は小学4年生の頃に所謂病み期に入ったことがある。
毎日「死にたい」だとか「どうして生きてるんだろう」だとか思っていた。そこから私を救ってくれたのはこの曲では無いけれど、音楽が私を救ってくれた。

今は「なんか違うな」と思って見ていないけれど、とあるグループが私にとっての光だった。この人達に会いたい、この人達の声を生で聴きたい。そう思っていたら、いつの間にか病み期なんて終わっていた。

何に感化されたのかは分からない。けれど、朧気な記憶の中に、ある曲の歌詞が自分に寄り添ってくれているような気がして安心したような記憶がある。
1人じゃないよ。生きててもいいんだよ。そう言ってくれているような気がして、1歩を踏み出せたのだ。

今は友達もできて、時折遊んでいる。生きようと思って良かった、と思う。苦しいことも沢山あったけれど、今はそれ以上の幸せがある。漫画やゲームなどの好きなキャラと出会えたり、同じ趣味を語れる人と出会えたり。

話が大きくそれたりしたが、人生(道)の先にあるものは生きとし生ける全てに共通する「死」だ。
けれど、それはあくまで終点の話。年齢を電車として例えるのなら、まだまだ何十駅もあるだろう。その間、沢山の選択肢にぶつかり、選択し、後悔し、それでも歩む。

最期に迎えるのは「死」でも、自分が歩いている道の先にあるのは、自分だけの選択肢と、自分だけの生き方だ。

7/3/2024, 1:42:00 PM