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「失恋」

彼女の部屋の窓を見上げて「さよなら」ともう一度言葉にした。さっきも彼女に言ったばかりなのに。

もう何度あの部屋で彼女を待ち続けただろう。会いたくて会いたくて、しつこく連絡したら合鍵をくれた。彼女のために部屋を整え料理を作り、ひたすら待っていた。

「待たれるだけなのは嫌」
彼女はそう言った後「さよなら」だけ残して二人で眠った部屋のドアを閉めた。少し経って、部屋から僕の荷物が運び出された。もう僕はいらなくなったんだ。

他にもあったけれど、この部屋に来ないならば必要ない。処分してもらえばいい。鍵を閉めドアポケットに入れた。

それからも僕は彼女の部屋の窓を見上げることをやめなかった。他に何もなかったから。

ある休日の午後、彼女の部屋から荷物が運び出されている。引っ越すんだ。僕の手の届かない所に行ってしまうんだ。とぼとぼとトラックの横を通り過ぎようとしたそのとき、「遺品整理」とトラックに刻まれた文字が目に入る。遺品?どういうことだ?

ちょうど彼女の部屋から出てきたスタッフがいたのでつかまえた。
「遺品整理ってなんですか?」
「あの部屋に住んでいて亡くなられた方の遺品です」
「亡くなったんですか?」
「そうみたいですよ。仕事中に急に倒れてそのまま亡くなったそうです。身よりもいなくて会社から依頼がありました」
「ちょっと、そこ、しゃべりすぎ」

亡くなった?僕が部屋を出て一か月ちょっと。その間に何があった?

「あの」
さっきスタッフをたしなめていた年配の女性が近づいてきた。
「これはあなたですか?」
二人でたった一度だけ出かけたときの写真だった。季節外れの海ではしゃいでいた。きれいなフレームに入れられていた。

「何があったか存じませんが、それは大切にされていたようですよ。この顔の部分、何度も触ったんでしょうね。指紋がたくさんついてます。よかったらお持ちになってください。全部処分することになってますから」

それだけ言うと女性は仕事に戻った。

「待たれるだけなのは嫌」
彼女の真意は別れることじゃなかった。だってこの海は、行きたくないと言った彼女を僕が無理に連れて行ったんだ。笑顔を見たかったから。

失恋したのは彼女だった。待つだけだった僕に。

6/4/2024, 12:45:43 AM