世間一般で「無償の愛」と聞くと、まず多くの人が思い浮かべるのは、ほとんど例外なく母親が子どもに注ぐ愛だ。
しかし、本当は違う。みんな、勘違いしている。
親の愛はもちろん深く強いけれど、社会的な役割や期待、過去の経験や理想像の影響を受けやすい。
でも、幼児が母親に向ける視線には、条件も計算もほとんどない。存在そのものをそのまま認め、受け止める力がある。
「はい、どーぞ」と差し出される小さなドングリ。
目の奥がまっすぐで、境界はない。
その瞳に映る自分は、飾りも作りもない存在としてだけそこにある。
何かを返さなきゃ、説明しなきゃという思考は、一瞬で消える。
これが、本当の無償の愛だと、20歳で親になって初めて気づいた。
親は産まれた瞬間から「完全な親」ではない。戸惑いも迷いも、足りない知識や経験もある。成人しても君子のように完璧ではない。
それでも、子どもはそれを評価しない。曇りなく、まっすぐに、存在そのものを受け止めて見つめる。そして、ただ「ママ」として慕う。
その瞬間、見つめられる側は、自分の未熟さや迷いも含めて丸ごと受け入れられている感覚に押される。
子どもの視線こそが、親を親たらしめる魔法みたいなものだ。
だから、ね、その瞳にあぐらをかいてはいけない。
純粋な視線を利用する親になってはいけない。
まだ未熟な子どもで、親を愛していない者はいない。
でも、親は違う。哀しいけれど、子を愛せない親はいる。
世間は逆に言う。子を愛さない親はいない、と。
哀しくても、
私にできることは目の前にあるその視線に、応えること。
そうやって、至らないまま18年間を駆け抜けた。
あの小さな瞳の魔法は、形を変えて今も生きている。
題 見つめられると
3/28/2026, 11:24:06 AM