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結婚間近の、ある雨の日のことだった。
雨は朝から降り続いていた。
時折雷鳴の響く、王宮の庭園、エルザ・キアナは、その金髪の髪の毛を雨に濡らしていた。
金糸の刺繍を凝らした、赤いシルクの、胸元の空いたドレスが、雨に濡れて重かった。
「エルザお嬢様!お風邪を引かれます……」
傘をさしてやって来たのは、乳母である人だ。
壮年の女性であるが、まだハリのある肌をしている。古くからキアナ家に仕えている、育ての親である。
エルザは、乳母の差し出した傘を取った。
黒いレースの飾りの着いた、豪奢なお気に入りの傘だった。
たが、それも慰みにすらならないのだと、エルザはそれが、悲しくて仕方がない。
冷たい手だった。
あの人の手であれば、どんなによかろうと、エルザは思った。
薔薇の咲く庭園で、いくつかの花は、この長雨に腐って、色を枯れていた。
誰も、助けてくれないのね。
しとしとと、エルザは、瞳から雫が滴るのがわかった。
ロンド・バルド・デ・ネッロ大公は、彼女の形式上の婚約者だった。
この国には珍しい、ブルネットの黒いオリーブのような艶やかな髪、鼻筋の通った切れ長の憂いを帯びた顔。
多大な魔力量を誇るという、飛び切りの魔術師でもある。
そんな彼が、結婚間近に語った台詞は彼女を呆然とさせた。
「婚約を破棄したい。これで、終わりにしよう。エルザ」

7/15/2023, 10:18:07 AM