【最初から決まってた】
「運命論って知ってる?」
冷房の効いた教室で、あなたが私に言った。夏休み中の学校。選択式の補習で、哲学を選んだのは私達だけ。だから、先生もプリントだけ渡して職員室に戻ってて、ほとんど自習みたいなものだった。
「それ、資料集に載ってたやつでしょ」
「当たり。世界の全ての事柄は運命によって定められていて、人間の意志や努力では全く変更できないっていう人生観のことね」
ノートの端にマルを書きながら、頬杖をついたあなたが言う。真っ黒な柔らかい髪の毛が、あなたの顔を隠した。
もったいないな、せっかく綺麗な目をしてるのに。
少しぼうっとした頭でそう考える。
窓も扉も閉め切っているのに、蝉の声がやけに鮮明に聞こえた。涼しいはずの教室で、なぜか少しだけ汗ばむ。
「・・・どうしたの?」
気づけば、あなたの髪の毛に手を伸ばしていた。
「いや、なんていうか、邪魔じゃないかなって、思って」
驚いたような顔が目に映る。あなたの、海の底みたいな深い青色の瞳と、焦点があった。
「へえ、優しいんだね。」
そっと、宙に伸ばしていた手の平をあなたの指が絡めとる。
顔に熱が集中するのを感じる。きっと今、あなたの目には真っ赤な顔をした私が映っているんだろう。
「ねえ、君が私の髪に手を伸ばしたのは、必然?」
細く、陶器みたいに滑らかな指に導かれて、私の手が、あなたの頬に触れる。手に移る温度。あなたの視線。
「この補習を選択したのは?私と二人きりになったのは?」
目を逸らそうと思うのに、逸らせない。あなたの視線が微かに、でも確かな熱をもって絡みつく。
思い出す。初めてあなたと会ったとき。今にも神様に攫われてしまいそうな、そんなあなたに目を奪われた。
それすら、必然だったのだろうか。
「・・・きっと、違うよ。私は私の意思で、この補習を選んで、あなたと二人きりになった」
あなたは黙り込んでいる。二人の息遣いだけが教室を支配した。
ゆっくり、あなたが頬から私の手を離そうとする。
「けれど」
あなたの動きが、止まる。
「人生における大事なことは、きっと既に決まっていて、私にとってのそれはきっと、あなたと出逢ったこと。私があなたを好きになったのも、きっと必然」
空いていた左手で、あなたの髪の毛をとる。まるで約束をするように、それに口付けた。
そっと顔をあげる。あなたはまるで乙女みたいに、頬を薄く染めて笑みをこぼした。
あなたの指が離れる。と同時に、あなたが首に抱きついてきた。
あなたの香りでいっぱいになる。近くに来ないと分からない、むせかえりそうな程に甘い香り。
私も、ゆっくり腕を回す。熱どうしが混じって、このまま境界線が溶けてしまいそうだった。
「ねえ、本当にそう思うなら、君の意思で私を奪ってくれる?」
「うん。あなたのためなら」
唇を近づける。目を瞑ったあなたの睫毛にさえ、触れてしまいそうだった。
あぁ、きっとこれも、最初から決まっていたんだろう。きっとあなたを好きになった瞬間から、私の運命は定められた。
あなたの唇が触れる。
蝉の声はもう聞こえなかった。
8/7/2023, 2:50:15 PM