「ねえ、知ってる?秒速5センチなんだって。桜の花の落ちるスピード」
桜を見上げていた彼女は、僕へと振り向き、そんなセリフを吐いた。
「映画の予告セリフじゃん」
ちぇっ、バレたか。と舌を出す彼女は長くて艶やかな髪を掻き上げた。
「きみは知らないと思っていたのに」
「いや、CMでちょくちょく流れていたし」
とはいえ、興味ない人間には知らないままだろう。現に僕は肝心の映画を観ていない。あらすじは知っているけれど。ネタバレなしで感想を言うならば、子どもだな、ということだ。僕らはとうに子どもでいられる時間は過ぎてしまったけれど。
「お互い三十歳越えても独り身なら、結婚しちゃおうか」
「また、映画のセリフ?」
「映画ではないね」
たぶん、と続ける。なんて、曖昧な。
「ここにいたら、本か映画ぐらいしか楽しみがないんだよ」
だろうな、と思う。彼女の人生の半分は真っ白な無菌室で過ごしている。病院の個室だなんて、彼女の家が金持ちなのか、余りがここしかなかったのかなんて考え自体、頭の隅へ追いやった。興味ないし。
「結婚の話なんだけど。俺、そんな気が長くないんだわ」
やべ。緊張しすぎて一人称ミスった。彼女は怪訝な顔をする。腹を括って、僕は彼女に告げる。
「退院したら、結婚しよう」
「正気か?」
「正気だけど」
ずっと、手放し続けてきた人生だった。
なら、手を離したくない時間がひとつぐらい合っても良いじゃないか。
「ふつーに、おまえを他のヤツに獲られんのヤダ」
彼女は顔を両手で覆う。心なしか、耳が真っ赤だ。
「クソッ、死ねなくなった」
「それは、良かった」
逃げられないように明日、婚姻届を用意しておこう。反応が楽しみだな。
11/23/2025, 2:27:15 PM