『雪の静寂』
朝から降っていた雨が、昼前には雪に変わる。
いつまでたっても雪に慣れない関東都心は、たった2mm程度の積雪でも交通機関は派手に麻痺を起こした。
俺は電車が止まる前にギリギリ帰宅できたが、彼女はそうはいかなかったらしい。
自宅まであと2駅というところで電車が止まり、立ち往生を余儀なくさせられた。
『あと2駅だから歩いて帰る』
ポコン、とメッセージが携帯電話に届いて心臓が止まりそうになる。
せめてバスとかタクシーっ!?
そう思ったが、2駅先といえば通勤準急すら停車しない、小さな駅だ。
記憶が正しければ、タクシー乗り場もバスロータリーもない。
道幅も狭いから道路が混雑しているであろうことは容易に想像がついた。
『俺も向かうんで合流しましょう。帰宅ルートを教えてください』
意地っ張りで強がりな彼女のことである。
遠慮してくるかと思ったが、思いのほか素直に帰宅ルートを示す地図アプリが共有されて、ホッと息をついた。
『なにかあったらコンビニでもどこでもいいんで、明るいところに入れそうなら入ってください』
追加でメッセージを彼女に送り、軽く気象情報の確認をする。
雪は夜には雨になり、翌朝は路面凍結はあっても派手な積雪にはいたらないようだ。
帰宅したらすぐに風呂で温まることができるように湯船を溜めて、俺は家を出る。
*
駅周辺で交通はパンクしているのか、車通りは意外と少なかった。
ときおり、歩行者や自転車とすれ違うくらい、付近はシンと静まり返っている。
雪が降り続けている夕方の空は、太陽の光を遮断して薄暗くなっていた。
暗がりが苦手な彼女と早く合流するために、気持ちが急いて歩幅が大きくなる。
雪と水が入り混じりぐちゃぐちゃになった歩道に、足音と呼吸音が静寂な雪空にこだました。
間もなく彼女が歩き始めた駅との中間地点だが、彼女と落ち合えない。
途中、自販機を見つけて温かいほうじ茶のペットボトルが売っていたため、買っておいた。
しばらく歩いていくと、見覚えのある紫色の傘が目につく。
急いで駆け寄ると、俺に気づいた彼女も早足になった。
「れーじくん」
俺の姿を確認して、彼女はあからさまに目元を緩めて胸を撫で下ろした。
「お疲れさまです。大変でしたね」
互いに傘をさしているから抱きしめることはできなかった。
2駅とはいえ1区間の距離は長い。
ダウンコートを着ているとはいえ、彼女は歯を立てて震えていた。
「気休めになるかわかりませんが、ちょっとでも温まってください」
先ほど買ったほうじ茶を彼女に手渡す。
「ありがと」
彼女はほうじ茶に口をつけることはなかったが、頬にペットボトルを当てて暖をとった。
彼女のマスクの隙間からほうっと白い息が漏れる。
「……早く、家……」
「ええ。帰りましょう」
鼻っ柱を赤くした彼女の背中を促して、俺は来た道を戻る。
深々と降る雪のなか、俺は彼女の手を引いた。
静寂に包まれた住宅街を、ふたり分の足音で乱しながら。
12/18/2025, 8:40:13 AM