《まだ見ぬ景色》
天より愛された者というのは、時として世界に現れる。
一つ二つならまだしも、七つ八つと才を持ちえて生まれ出ずる者である。
今世にもまた一人、愛し子が世界を駆逐することとなった。
人々を引き付ける容姿は、老若男女問わずその魅力を遺憾無く発揮した。
誰に対しても変わらず接し、馴れ馴れしくもなくよそよそしくもない。
礼儀を問うより早く、その精錬された動作に目が吸い寄せられる。
世界中の学者らが作り上げた難問を解かせれば、解けないものは無い。
不可能と呼ばれていた筈のことが、彼の周りでは簡単に成され得る。
楽器を持たせれば習わずとも、譜面を見ずとも美しい演奏を響かせる。
その美声も、歌になれば聞く者の心を震わせ、劇となれば共感がための道具と成った。
まさに、天の愛し子として称された。
しかし、そんな彼にも一つ、才を与えられぬものが有った。
それは、絵。
幼子の描いた絵よりかは上手だが、それも、ほんの僅かに勝っているというもの。
これが、どうしてできないのかわからない、か。
天の愛し子はそう知って、また、歓喜した。
己の知らぬ喜びが此処にあるのだと。
絵は、イメージが大事だという。
細部まで頭の中で描き、それを筆を使って紙の上に表す。
そうすればいいとわかってもなお、困難を極めた。時間が経っても、いくら練習しても、絵は一向に上達しない。
周囲の人間は、それを欠点だと嗤って愉しんだ。
けれども、諦めることはしなかった。
言うなれば、これは、努力の才能があったと言ってしまえるのだろう。
それほど、周囲の嘲りに対して強く在れたのは、奇跡的なことであった。
そうして、天の愛し子は、絵の道を極めんとして時間を腐らせていった——ように思えたが、遂に、それが成される。
息を飲むほど美しい幻想的な景色を描き終えると、天の愛し子は自ら命を絶った。
曰く、本物には遠く及ばなかった、と。
そうして、未完成である今が、唯一未来を夢想できる己だと理解してしまったが故に。
死してなお、その名声は消えぬまま世界に残った。
初めて。
その大切さを知っていたからこそである。
1/14/2025, 9:08:44 AM