静かな情熱…か。
思うに、物語を書くのって、静かな情熱の為せる業じゃないだろうか。
文字だけを使って、あらゆる情景を表現する。
人が争う場面や、号泣する場面、街が破壊されるシーンだって、ひらがなやカタカナ、漢字を並べるだけで誰かに伝えることが出来る。
映画や漫画では、情熱あふれる場面はやはりそれなりにその絵面も情熱的になるから、静かなそれとはならない気がする。
派手に描きたくもなるだろう。
まあ、書き手にとっては、頭の中でその状況が展開されている訳だから、きっと多少なりともテンションは上がっているのだろうが、それを単なる文字の羅列に置き換える時点で、なんというか、気持ちが理路整然と冷静な状態に戻されているような。
そしてまた、誰かがそれを読んだ時、圧縮パックされたような文字面がその人の頭の中で展開されて情景となり、興奮や感動を伴って染み渡ってくれればいいなと…書き手は思う訳で。
それが本当に上手く出来る人達が、ものを書くことを生業にするんじゃないだろうか。
感情に振り回されて書いた文章は散文でしかない。
原稿に手書きで書いていた時代なら、その紙面に上手く感情を表現する術も多少あったかもしれないが、今や定型化された文字が画面タッチのみで現れる。
その文字自体には、個性なんて欠片も表現されない。
それを使って自分の思いや想像を伝える訳だから、これはなかなか高等な技術ではないだろうか。
例えば絵画だったら、絵そのものが個性となるだろう。
…と、こんな思うがままの文章に静かな情熱を注いだところで、いったい誰が読んでくれるというのか。
これまた書き手の苦悩だったりする。
読んでくれる人のいない文章は、ただの落書きに過ぎない。
いや、トイレの落書きだって、それなりにたくさんの人達の目に留まる。
ならば、この文章は何だ。落書き以下か?
…そんな思いも、このアプリのおかげで多少なりとも緩和されましたとさ。
めでたし、めでたし。
4/17/2025, 9:40:26 PM