ススキ。
小説。
昨日(2024/11/10)のテーマです。
ミナミの声がうるさすぎて、アップルウォッチから音の大きな環境!!! って警告がきた。
なにごとかと思って目を向けると、ミナミが玄関口で震えている。哀れに腰を抜かし、へたりこんでいた。
ミナミがコロの散歩に行こうと玄関に向かったところだった。
「あ、あ、あ」
「ミナミ〜どうした〜?」
「あ、あ、俺……俺……」
ミナミは足元を見下ろして、ふるえている。
コロは飼い主の友だちに寄り添ってくんくん鳴いている。
またか。
ミナミはここ最近おかしい。なんかよく震えている。幻聴が聞こえるんだとか。耳鳴りもするし、寒気もするという。寝不足なのと、就活のストレスでイカレているんだろうと、俺とかカスガは思っている。直近、彼女に振られたことも関係あるのかもしれない。一昨日は、「しらない女が寝ている俺の足首をつかむ」と言っていた。
それで、俺たちがミナミといっしょに泊まることになったのだ。俺と、ここにはいない――今さっきコンビニに行ったカスガと、おなじサークルのアキチカで泊まることになった。カスガの家に。
カスガの犬のコロが俺に駆け寄ってきて、ミナミのほうに促した。
実際、昨夜、ミナミに怪異は起こった。
俺たちもはっきり聞いた。
俺としては、怪異と思えないし、思いたくないんだけど……。
と、いうのも、昨夜俺たちが遭遇したのは、『しらない女が足首をつかんでくる』怪異じゃない。姿も見ていない。足首をつかまれもしなかった。ただ、足音が、コツコツコツと部屋の外でしていた。
昨日は雨だった。だから、雨音だと俺は思っているのだ。
雨の音だよといって主に俺がミナミを励ましていたのに、それを裏切るように連続的なコツコツコツという音は、俺たちのそばまで迫りきて、俺たちの部屋の前で止まった。
緊張が高まりきる前に叫んだのは俺だった。みんな不意打ちで固まっていた。「幽霊はさ! エロい話してたら近寄ってこれねぇんだぜ!? 知ってたか!?!?」と叫び、真夜中の二時に下ネタを連呼した。それが俺的除霊法だった。アップルウォッチに音の大きな環境!!! といわれた。
アップルウォッチからけたたましい着信音が届いたのは、そのときだった。俺の渾身の下ネタがかき消される。
着信は非通知だった。深夜二時にうるせえよ馬鹿。電源を落としても関係なしに鳴り響いてくる。「とにかく寝ろ」とカスガになだめられながら、俺たちはなんとか一夜を耐え抜いた。
もうこりごりだった。寝不足どころじゃない。ストレスでイカレそうだ。
ミナミへの同情心も尽きてきて、俺は、こいつといっしょにいたら俺まで呪われる、と見放したい気分になる。
足音は明け方までつづいた。
あれ、上の階の人の足音っしょ、昨日ダンスパーティーだったんだよ、と俺はミナミとアキチカを励ました。ふたりとも相槌すら打たなかった。そんなわけないって俺だってわかってるけどさ、俺だってキツいのに、そういう顔やめてくれねぇかな。
ふたりがのろのろ着替えているのを横目に、俺はカスガに当たり散らしてた。
音というのは案外、跳ね返ったり、物に吸収されたりして、自分が思っているより変な方向から聞こえてくることがある。昨夜の音もそれだったんだ! 天気が悪くて、ミナミがおびえていたから、過剰に反応してしまったたけで、怪異なんてなかったと、我ながらこじつけに近い説得を繰り返した。
カスガは黙って俺の話を聞いてくれた。俺と自分用にコーヒーを淹れてくれた。
俺の話が終わってから、
「でも、こういうところから怪談がはじまるんだろうな……」
と、いった。
「え?」
「うん?」
「……いや、どういう意味だよ」
「どういう意味って……そうだな」
カスガはコーヒーに口をつけて、離してからいった。
「根拠なんてないだろ? おまえの話。たしかに、音の出処ってのはわかんないよな。やまびことかあるし。音は跳ね返る。空耳もある。でも結局、あの音がそうだったかなんて根拠はないんだ。一見それっぽく説明がついてるけど、根拠がなけりゃ、舞をやったら雨が降ったとかと、おなじレベルだよ。新しい怪談を作ってるだけだ。自分が納得できる真実を捏造してるだけ」
そういって、コーヒーをすすった。カップから口を離して、俺にコーヒーを勧めた。
俺は機嫌が悪くなって、いらない! といった。
「本当にガキだな、ケイは」
「いらないって! おまえが飲めよ」
「ああ。そっか。ブラックじゃ飲めない?」
ちげぇって! と大声を出す前に、被せ気味にアキチカが「俺、出かける」と宣言した。
なにごとかと振り向くと、すでに財布を持ってそこにいる。
「なんかどうでもよくなってきたわ!」
アキチカは、俺がぎゃんぎゃん言っているのを聞いて吹っ切れたらしかった。
「俺もケイみたいに生きるわー」
「なに? 馬鹿にしてる?」
「してない、してない。もういいんだー真実でも真実じゃなくても。俺はケイのいうこと支持するよ。信じたいもん信じる。うん! あれはお化けなんかじゃなかったね! お化けなんて嘘、嘘!」
と、うれしいことをいう。
ミナミは顔色が悪いままだったが、アキチカはカフェオレ飲みて〜といって、元気になってきたようだった。ミナミを奥に残して、コンビニに行くと言い出す。それで家の外にいってしまった。
カスガがため息をついて、スマホと財布を引っつかむ。
「カスガ行くのか?」
「ああ。チカが心配だから。行くよ。ケイ、留守番頼んだぞ」
「了解。俺、爽健美茶」
「急に自己紹介やめてくれる? 俺のコーヒー飲んどけよ、キサキ・爽健美茶・ケイくん。あとさ、ケイ、俺んち最上階だから、俺んちより上の部屋はないよ」
カスガはそう言い残した。
俺はごくんと唾を呑み込んで、カスガを見送った。
雨はすっかり上がって、十一月の遅い日の出にアスファルトが照らされている。
ベランダからカスガたちを見ていた俺に、ミナミがうしろから声をかけてきた。
――ミナミに突き落とされるかと思った。ベランダからどーんって。ミナミが、あんまりに低い声をしていたから。
「コロの散歩行ってくる」
「えっ?」
「コロの散歩」
いや、聞き取れなかったわけじゃないんだけど。
ミナミを外に行かせていいのか迷った。
見ると、ミナミの足元でコロがしっぽを振っている。
そういえば、昨日コロはどうしていたんだろう。自分に夢中で気づかなかったけど、コロも暗闇のどこかでおびえていたかもしれない。
そう思うとかわいそうになって、止めるのを戸惑った。
でも迷ってから、意を決してミナミを止めた。
「やめたほうがいいよ」
「なんで」
「コンビニってすぐだろ。カスガたちはすぐ帰ってくるよ。カスガに行かせればいい、コロはあいつの犬なんだから」
「外に出たい気分なんだ……」
「……やめろって!」
ミナミの肩をつかんだが、ミナミは抜け殻のようにぼーっとしていた。
俺は硬直してしまった。
俺の横をすり抜けて、ミナミは外に出る支度をしはじめた。
ミナミは犬が好きだし、コロも俺たちの中じゃ、カスガの次にミナミが好きだった。行かせてやるのがいいかもしれない。コロも行きたそうだ……昨日は雨で行けなかったから……。
でも、俺ひとりで残るのか?
俺もミナミに着いていく? こんなはた迷惑な奴に着いていかなきゃいけないのか?
ミナミはベランダの景色を見て、この部屋が最上階にあることを思い出したのかもしれない。
お化けなんて本当にいるのか? 本当に?
朝日につつまれていると、すべてが嘘のようなきがしてきた。
ミナミが玄関で叫び声を上げたとき、もう俺はうんざりした気分だった。
コロに鳴かれてそばまで行くと、ミナミは首を出して玄関の外を見ていた。
黒っぽく雨で濡れたコンクリートに、足跡あった。大人の男のサイズで、きちんと両足そろえて、この部屋につま先を向けている。足跡のまわりだけが白く乾いている。まるで濡れた靴でこの場所に立ち尽くし、男の体で傘になった部分だけが濡れずにあるみたいだった。
「やっぱり、やっぱり、俺は呪われてるんだ……! なんで、なんでだよ! あいつか、あいつのせいか。俺が悪かったのか悪かったのか?! あんなの、みんなだれだってしてるだろみんなっ!」
「落ち着け、ミナミ」
ミナミは全身から振り絞るような声をあげ、泣き崩れ落ちてしまった。肩がびくびくと跳ね上がり、背骨がまっすぐ立てられないというように曲がっている。
「ミナミ、聞け」
「ごめん……ごめんケイ……許してくれ」
「ミナミ!」
すがりついてくるミナミの腕をキツクつかんだ。
「ミナミ聞けって! おまえは大丈夫だから。呪われてなんかない。大丈夫だから。大丈夫。だから俺を見ろ! ミナミ!」
ミナミの顔からぽろっと涙がこぼれ落ちるのを見た。
「嘘ばっかり……」
「俺は嘘をつかない」
「嘘だった……上の階なんて。俺を慰めるために言ってんだろ。どうせ。どうせおまえは優しいから……」
「違う」
俺はミナミの耳に手を添えて、上を向かせた。
「よくよく考えてみろよ。上の階がないから、足音は雨の音かなんかだ。あんなに大雨だったのに、はっきり足音が聞こえるなんておかしいんだよ。雨漏りかなんかしてんだよこの家は。アップルウォッチは信用するな、ああいう人柄なんだアップルウォッチは。信用するな。それに、その足跡も、お化けなんかじゃない」
俺が指をさすと、ミナミもそれを振り返った。
「ミナミ、おまえがこれまで見たお化けってやつはどんなだった?」
「……どんな?」
「寝てる間に足首をつかまれたんだろ」
思い出してぶるっとふるえるミナミの肩を撫でさすった。
「こわい顔をしてたよ……すごい目で俺を見ていて、顔が青白いんだ。ひと目で生きていない、ってわかる顔……。でも俺にはこころ当たりがないんだ。本当に。見たことない、あんな女……」
「それだよ!」
「え?」
「見てみろよ」
玄関先にあるのは男の足跡だ。
ミナミは動転して気づかなかったかもしれないが、今回俺たちに起こった怪異のようなものは、脈略ってものがなさすぎる。全部環境に都合がいいんだ。連続的な音がするから足音だとか、雨が降ったから足跡だとか。これまではミナミの部屋に出ていた怪異が、カスガの家に移動した途端中に入って来れなくなるのがピンと来ない。つか、足音なのに足跡が残ってるってなんだ。ここで幽霊は足踏みでもしてたのか? ミナミより先に出たアキチカたちは足跡に気づかなかったのか? ……アキチカは気づかなかった可能性はあるな。でもカスガは気づくだろう。気づいたのになにもいわなかったのか? カスガはこれが怪異の仕業じゃないとわかっていたんじゃないだろうか。
俺はカスガの家の靴箱を開けた。
これは俺が以前カスガの家に来たときに気づいたものだ。ミナミはしらないだろう。
「それ……」
「うん」
「なに」
「防水スプレー」
男の足跡の正体は、これだ。
「それはカスガの靴の跡だよ。ほらぴったり」
防水スプレーといっしょに拝借したカスガの靴を当ててみると、ぴったり当てはまった。……いや、ちょっと足跡のほうが小さいか? 雨が止んだのは数時間前のことだ。今は太陽が照っている。少し乾いたのかもしれなかった。
「ぴったりだろ? ともかく、これが真相だよ。カスカは臭いが嫌だったんだろうね、防水スプレーの。カスカはこの場所に靴を置いてスプレーを使った。それで、まわりの地面が靴の形に防水された。スプレーの当たらなかった靴の真下と、靴から離れたところが雨に濡れて湿って、この足跡が浮きあがった、ってのが真相さ」
俺は早口にしゃべり終えるとミナミを見た。
ミナミはすっかり俺に感激して、ぽっかり開いた口で「すごい……」と声をもらした。
「だから、大丈夫だから」
「……うん」
頭をくしゃくしゃに撫でるとミナミがうつむいて目を擦った。
「ケイは馬鹿だな」
「はっ?」
けしからん発言が聞こえて振り返ると、カスガがうしろに立っていた。
今までの話を聞いていたらしい。
エレベーターの音、聞こえなかったんだけどと思っていると、階段のほうからアキチカの息遣いが聞こえてきた。階段で上がってきたのかこいつら? こいつらのほうが馬鹿じゃね?
アキチカ、筋トレしてムキムキになりたいっていってたもんなーと思って待っていると、アキチカもようやく俺たちのもとにたどり着いた。
「キエエーーーー! 足跡!」
それから初見のミナミとおなじように叫んだ。
「おかわり。間違えた、おかえり」
アップルウォッチが音の大きな環境です!!! といった。
俺の鮮やかな推理を披露すると、アキチカもすぐに納得した。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花、だな」
そう晴れやかな笑顔でいって、俺を満足させた。ふふ。名推理だろ。
「あっ。おい聞いてよ。おまえらの朝飯買ってきたぞ」
「助かるわ。サンキュ〜アキチカ」
「褒めてつかわすぞ、アキチカ」
「ケイにはやらんねぇわ」
「なんで!?」
「俺が作ってもよかったんだけど」
「三人分も作るの大変っしょカスガ! こいつらには菓子パンでも食わせておけばいいよ」
菓子パンでもとはなんだ! とミナミがアキチカに食ってかかる。
ばたばたと部屋に入っていくふたりを見ながら、俺は防水スプレーとカスガの靴を靴箱に直していた。
「ん?」
靴箱を覗き込んだとき、さっきは気づかなかったものに気がついた。
奥の張り紙がある。いや、張り紙じゃない。靴箱の奥の壁には、御札が貼り付けられていた。
俺たちは、なんで俺のでもアキチカのでもなく、カスガの部屋に泊まることになったか――そのことを、俺は今思い出した。カスガが俺んちは安全だからといって、力説していたからだ。
なんで、今までミナミの近くに出現していた怪異が、今回はカスガの家には現れなかったのか――そのことについても、俺は……。
俺のうしろで靴を脱いでいたカスガがいった。
「最上階だろうが、玄関前の廊下に屋根ぐらいついてるだろ。昨日は玄関前に吹き込むくらいの横降りだったか? コンクリをびっちゃり濡らすくらい? 階段でのぼってくるときに、ほかの階を見たよ。ほかの階はこんなに濡れていなかった。……」
カスガは俺を押しのけて、靴箱を開いた。
カスガの家の靴箱は引き戸だ。俺は右側の戸を開いていた。
カスガは左側を開けた。左側は――玄関に近いほうだ。そこを開けると、そこにも御札があった。御札は、血濡れたように赤くなっていた。
カスガがカリカリと爪を立てて剥がす。
「そもそも俺は、外で防水スプレーなんてしてないしな」
馬鹿だなというように、俺の頭を撫でる。
読了ありがとうございました!
11/11/2024, 10:32:21 AM