【終わらない夏】
夜の河川敷は、湿った草の匂いに包まれていた。縁日の赤い提灯が揺れ、遠くで太鼓の音が鳴っている。
俺は隣を歩く彼女をちら、と見た。浴衣姿の彼女は、提灯の下でやけに柔らかく輝いて見える。
「……暑くねえか」
そう言ってみるが、実際に気になっていたのは彼女の頬が少し紅潮している事だった。
「大丈夫です。花火、楽しみですね」
控えめに笑う。その穏やかな声に混じる期待が、俺の胸をざわつかせる。
人混みを抜け、堤防に腰を下ろした。川面を渡る風が浴衣の袖を揺らす。
やがて空が白く光り、大きな音が夜を裂く。火花が開き、赤や青の光が彼女の瞳に映り込む。
「……綺麗ですね」
彼女が空を見上げたまま言う。
俺は返事をしない。
ただ、その横顔に目を奪われていた。
髪を撫で上げる癖がまた出る。湿気で額に張りついた前髪をかき上げる指先は落ち着かない。
けれど、隣に彼女がいるだけで胸が苦しくなる。
花火の音にかき消されるのをいい事に、ぽつりと声が漏れた。
「……俺、お前が好きだ」
一瞬で、時間が止まったように感じた。けれど彼女はすぐに振り返り、目を見開いて俺を見る。
「先輩……」
小さく呼ぶ声。夜風よりもずっと弱く頼りなく響いた。
「前から、ずっと……気付けば、目で追ってた」
視線を逸らさずに、正面から想いをぶつける。
冷たいだの、一匹狼だの、周りが勝手に付けた言葉に囚われなかった彼女だから、きっと伝わると――
花火が夜空で散る。その光に照らされながら、彼女はほんのりと頬を赤く染める。
「私も」
その声は震えていたが、確かな意思を含んでいた。
「……先輩のこと、好きです」
胸の奥で、何かが解ける音がした。
ずっと押し殺してきた感情が、やっと呼吸を得たように膨らんでいく。
「そっか」
短く言って、俺は少し笑った。笑い方を忘れているかのような、ぎこちないものだったけれど。
だが彼女が笑い返すと、少しずつ自然に形が整っていくのを感じた。
彼女の指に、そっと自分の指を重ねる。驚いたようにわずかに動いたが、拒む事なく握り返された。
火薬の匂いと人々の歓声に包まれながら、二人だけの世界がそこにあった。
大輪の花火が夜空いっぱいに広がる。その光に照らされた彼女の笑顔を、俺は心に焼き付けた。
――終わらない夏が、ここから始まる。
8/17/2025, 11:38:57 AM