『桜』
「桜ってさ、儚いよね。ゴキブリみたいに」
「考えうる限りさいっていの例だな」
仕事帰り、茜がさす夕日の時刻。俺、清廉煌驥は仕事の同僚兼恋人である春夏冬小夜と帰っていた。
少し前に咲いた桜はまだ世界を桃色に彩り、道路や家の庭などに花弁を落としている。
「儚いじゃん、ゴキブリ。素手で潰せば一発だし」
「化け物か? 素手でいくな素手で。汚いだろ」
毎度のことながら俺の恋人は逞しい。この前も暇だし心霊スポットに行ってくる〜とか言ってここら辺で一番やばいと言われているトンネルの中でメントスコーラを両手によさこいを踊った動画が送られてきた。それも一時間くらいあるやつ。頭おかしいんじゃねぇの?
頭がおかしい俺の恋人は近くに落ちていた桜の花弁を拾う。
「自分の彼女を頭がおかしいだなんて。失礼だな、純愛だよ」
「これのどこが純愛なんだよ。ゴキブリ潰して桜と同じだとか言って一時間くらいあるよさこいの動画送ることが愛なのか?」
「うん」
「捻じ曲がりすぎだろ」
一応ずっと一緒にいるつもりだが……なんか不安になってきた。大丈夫かな、未来の俺。今のうちに遺書を書いておいた方が良いかも。
「だって見てよ、この花弁。この後にあるのは踏み潰されるか、ただ風に身を任せて死ぬだけ。ゴキブリは私に殺されるだけ。儚いでしょ?」
「もしかして全世界のアイツを殺ろうとしてる?」
というかゴキブリゴキブリ言うのやめろ。読者が逃げていくだろうが。
俺は右を向いて小夜に注意する。一応こんなでも俺の恋人だし。最近ちょっと怖くなってきたけど。
「お前なぁ……気をつけろよ? アイツは何をするかわからないんだからな?」
「私そっちに居ないよ。反対側」
「…………」
…………やべぇ。
「ごめん。なんか目の前が歪んできた。ニコチン摂ってきていい?」
「どーぞー」
俺は少し離れて人が居ない大きな桜の木の下で煙草を吸う。
桜を見ると小夜との出会いを思い出すのが俺の恒例だ。煙草を吸いながら、というのも毎年だったりする。
「綺麗だなぁ……」
きっと今咲いている桜もすぐに落ちるのだろう。それまでしっかり目に焼き付けていこうと決める。
だって、桜は小夜との思い出の花だから。
※※
今、私の恋人が私を放ってニコチンの妖精ちゃんとお話ししています。
私は社会に出た時に大きくイメチェンしたからわからないかもしれないが、大学時代にも彼と会っている。というか同じ大学だ。煌驥には言ってないけどね。
その時も煙草を吸っていた。ただ一人、今日と同じ桜の木の下で。
春風に吹かれ桜と共に彼の黒い短髪が靡き、日の光に照らされる彼の横顔に私は心を奪われた。俗にいう一目惚れ、と言っても差し支えは無いかもしれない。
私は吸わないけど煙草の匂いが好きだ。街中で歩いている時にその匂いを嗅ぐと彼を思い出す。
咳き込みそうなほどに苦しくて、吸ったことのない私の肺を刺激する鋭く、そして甘い香り。
でも、煙草はやめて欲しい。折角同じ年齢で生まれたのに先に逝かれたら泣くだろうから。
「まあ、一年で一度も桜が咲かなくなるまで無理なのだろうけどね」
煌驥が言うに彼にとって桜は大切なものらしいから。
もうやめさせる気はない。あの匂いは、彼が彼であると思い知らせてくれる。周りから変人と言われて、距離を置かれてきた私の隣を一緒に歩いてくれる彼を。
走り出す。愛しい恋人の元へ。
「え、いやちょ! まだこれ吸えるんだけど?! 手を引っ張るなって! 本当にお前はマイペースだな!」
桜が舞い散る道を二人で走る。後ろを向くと、彼は文句を言いながらも笑っていた。
4/5/2025, 3:55:09 AM