「心の羅針盤」
海を見ると人間は人生を見つめ直すらしい。
どこまでも広大だからだろうか、さざなみの音がアルファ波を発生させるからだろうか、人間の営みとはかけ離れて太古から存在している様子がまるで母親のように感じられるからだろうか。
理由は分からないけれど、なぜか人は海を見てノスタルジーに耽ったり、青春を描こうとしたり、涙を流すらしい。
それだけではない。
海は人生そのものに喩えられたりする。
波が高く荒れているときはシケというが、まさに踏んだり蹴ったりの日やツイてない日はシケた日と呼ぶことがある。
逆に穏やかな海は凪というがそれもそのまま何も起こらない日を凪といったりすることもある。
そんなことを考えながら俺は海を見つめた。
哲学的なことをうらうらと考えたけれどおそらくみんな考えてることは同じだ。
こうやって海見ながらボーッとしてる人多いなあ。海見ながら人生語ったり本音を言うことが多いよなあ。
確かにシケとかナギとか言うもんなあ。人生って海みてえだなあ。
誰でも思いつくことをうだうだうだうだと頭の中でそれっぽく語り散らかして、自己陶酔する。
そして何も解決していないのになんかすっきりして帰ってしまうのだ。
それじゃつまらん。
どうせなら海に出ようじゃないか。
某少年漫画の主人公みたいに心の赴くままに旅をするならどうする?
でも浜辺に座って海を見つめてる時点で座礁してるようなもんだ。
俺はこのままでいいのか?どこに向かってるんだ?正解の道を辿っていけているのか。
分からないから海に来て現実逃避をしているのだ。
たまに人生は山登りに例えられることもある。
みんな頂上を目指してひたすら登り続ける。
しかしそこには道に迷うという概念はないし、みんな頂上を目指すべきという揺るがない前提がある。
じゃあ遭難した人は?頂上からの景色に興味がない人は?
山はそんな人たちを受け入れてくれるほど懐が広くない。
コンパスは頂上を目指すものでしかない。
それに比べると海のなんと懐の深いことか。
そうか、羅針盤。羅針盤もコンパスみたいなものだが、海には頂上のようなゴールはない。強いて言うなら島がゴールにあたるけれど人それぞれの島に辿り着ける。
羅針盤を無視して漂っても必ずどこかに辿り着く。
俺は何か答えを見つけた気がして立ち上がった。
くるくると回っていた羅針盤の針がまっすぐ前を向いた。
8/8/2025, 12:45:09 PM