薄墨

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生ぬるい麦酒を喉に流し込む。
今日はやけに空気が蒸している。

タバコを咥えて火をつける。
口元すれすれでタバコを触る指先に、生え始めた無精髭がちくりと痛い。

ぬるめに蒸した初夏の空気にうんざりしながら、ヤニ臭い煙を味わう。
この体に、男になってから、まだ三ヶ月。
私とも僕とも俺とも言い難い。
なんとも混じり気のあるはっきりしないような気分だ。

丁度、副流煙だ健康被害だと隔離され、施設の片隅の一隅ほどの狭いスペースに、閉め切られた喫煙所に蔓延する煙のように。

澱んだ、なんとも言い難い気分だ。

一人ぼっちのアパートの、窓際でタバコを吸う。
外を眺めながら、一人で。
かつて、ここにいた親友はもういない。
一緒に暮らしていた、同居人で同志でもあった、あの戦友は。

似たもの同士だった。
抱えている悩みも。
漠然とした絶望の未来を抱えているのも。
どうにかして、いっそ別の人間になってしまいたいと願っているのも。
異性であることに憧れているのも。

似たもの同士だったのだ、本当に。

目の前が澱み、霞んできた。
紫煙が、部屋に溜まり始めていた。
窓を開けていなかった。

麦酒を呷った。
腕を伸ばして、窓を開けた。
やたら粘着質の、ぬるい風が吹いていた。

ヤニと有害物質を纏った紫煙は、口元から、窓の外へと流れた。
風と。
風と共に。

同居人がいなくなったのも、風と共にだった。
似たもの同士で、いつも以心伝心だと思っていた。
それが間違いだった。

親友は、ずっとずっと繊細だったのだ。
ずっとずっと悩んできたのだ。
いつしか、親友の心は知らぬうちに、換気がされていない狭苦しい路上の喫煙所のように、モヤモヤと澱んでいたのだ。
悩みや不安や術後の苦悩や、その他の大なり小なりのなんやかや。
煙のように形のないそれが、親友の心には溜まっていたのだ。
きっと。

ある日、親友は、高い高い窓に手をかけて、笑った。
屈託のない、やけっぱちないつもの顔で。

そして、親友は目の前から消えた。

片手で自然に窓を開けて、
身を乗り出して、
窓の奥の外から吹き抜けた、今日とは比べ物にはならない涼しげな風と共に。

親友は、風と共に出て行った。
窓から、外へ。

生ぬるい麦酒を呷る。
うまくない。
苦くて、気が抜けていて、えぐくて、まずい。

窓から、外の空気が吹き込む。
今日は、やけに蒸している。

タバコの煙が、風と共に窓を出る。
臭くて、有害で、公害になるらしい煙が。
じくじくぬるい風と。

今日の空気は、やけに蒸している。

5/1/2025, 1:02:17 PM