「ごめん、暇だったからきちゃった」
今日は、他の女の人はいなかった。
彼は、そう暗く笑む私につられて笑い返した。唐突に訪れた私を追い返すことなく、彼はどうぞ、と背を向けた。
今日で五回目の彼の家は、今日もなぜだか安心感のような、しかし、妖しげな煙がふわふわと漂っているような、そんな不思議さがあった。
ここにくると、いつも変な気持ちになる。
「なっちゃん」
「…ん?」
「珈琲飲む? それか紅茶?」
「……」
「うそうそ、カフェラテだよね。苦い飲み物嫌いだもんね、なっちゃん」
黒髪マッシュヘアの整った顔立ちをした彼は、女神のような柔らかな笑みを浮かべている。憐れむような、慈しむような。ドジな子供を見るような目で私を見ている。この前も、今日もだ。
私より、有利な目。
「今日はどうしたの」
「…え?」
「なっちゃん、かわいい服着てるね。デートだったの?」
「…どうだろうね」
「えー、そうなの? デートだったら、嫌だなぁ。悲しいな」
笑んだ時の三日月の目。時折見えるかわいらしい八重歯。私な大好きな顔が適当なことを言ってくる。それはいつものことだが、いつもいつも聞く度に辛くなるのだ。嬉しいと共に悲しくて、悔しくて、気持ち悪くて、イライラして、憎たらしい気持ちが。ずんずんと、腹の中を巡っている。
自分らしく生きろと説く現代社会において、必要のない、後ろ向きな気持ちばかりが、彼と顔を合わせる度に湧き出てきてしまう。
何が悲しいだ。何でそんなこと言うんだ。どうして私を辛くさせるんだ、悪者にさせるんだ。どうして、どうして、優しいことばっかり、かっこいいことばっかり、言ってくるの。
どうしてあなたは、いつもいつも、悪い男なのに、
魅力的な人なの。
「なっちゃん、彼氏作っちゃダメだよ」
ゆっくりと伸びた彼の手は、私の背中にふんわりと触れた。そのままぎゅっと抱きしめられ、彼の甘い匂いが私の鼻腔をくすぐった。私を、みんなを虜にさせる、悪魔の匂い。悪魔の言葉。そのどれもが、大好きで、大嫌いで堪らない。
「俺のもんだからね」
「…何が」
「なっちゃん。俺の大切なもの。誰にもあげない」
「…」
「なっちゃん、大好き」
DV男宛らの飴に私は思わず笑みを浮かべた。うん、私も。なんて汚いことを返す私は、誰よりも汚い人間なんだろうな。部屋の中にある数々の女の私物の現実に向き合わなきゃいけないのに、彼に反抗することなく、快楽に身を溺れさせるこの私は。
「なお」
「ん?」
「私も、大好き」
ずっと一緒にいてね。
なんて言葉は告げたところで、遊び人の彼には伝わらない。
彼の唇に口付けをすると、私は涙を堪えながら微笑んだ。
堅実逃避/遊び人の彼(悪い沼男)を好きになっちゃった私の話
2/27/2023, 3:59:08 PM