「久しぶり」
数年越しに再会した彼女の笑顔は、最後に別れた時と何一つ変わらなかった。
「偶然だね。この辺りに住んでるの?」
「まぁな。お前こそ、どうした。こんな所にいるなんて」
噂では、彼女は今海外にいるとの事だったが。何故ここにいるのだろうか。
彼女から視線を逸らし、歩き出す。少し遅れて着いてくる彼女の足音を聞きながら、気づかれぬよう密かに息を吐いた。
人のいない、寂れた公園に足を踏み入れる。中央に小さな噴水のあるこの公園は、夏場になれば涼を求めて親子で賑わう事もあるが、今の季節ではそれもない。噴水と、ベンチがある以外は何もないここは、夏以外に訪れる者などなく、話をするのには丁度よかった。
「懐かしいね。相変わらず暑い日以外は誰もいないんだ」
「最近、近くに大型の遊具のある公園が出来てからは、余計にな」
「そうなんだ。知らなかった」
興味深げに噴水を覗き込む彼女を横目に、ベンチに座る。学生時代から変わらない無邪気な後ろ姿は、今でも周りを虜にしているのだろう。
「着いてきたって事は、話があるんだろう?」
「そうね。私が貴方に言いたい事は、あの時から一つだけよ」
振り返り、彼女は笑みを浮かべたまま近づく。蠱惑的な赤い唇が弧を描くのを、眉間に皺を寄せながら見つめていた。
「私達、やり直せないかしら?」
小首を傾げ、顔を覗き込まれる。別れてから幾度となく繰り返したやりとりに、嘆息しながらいつものように断ろうと口を開き。
ふと、思いついて彼女を見る。
「俺の願いを叶えてくれるなら、考えてやってもいい」
「本当に!?いいわ、何でも言って!」
頬を染め、今にも抱きついてきそうな彼女を制しつつ、その目を真っ直ぐに見つめる。逃げださぬよう手首を握り、静かに願いを口にした。
「俺の願いは一つだけだ…お前の部屋にあった姿見。あれを俺に寄越せ」
彼女の笑みが固まる。逃げようとする体を、握っていた手首を引く事で留め。姿見を寄越せ、と繰り返す。
――本物の彼女が閉じ込められている、姿見を。
「ぃや…いやよ、いや!あれは駄目。絶対に駄目なの!お願い、それ以外ならいくらでも叶えてあげるからっ!」
「それ以外に、お前に願う事はない。俺が欲しいのは偽物なんかじゃないんだ」
「っ!」
彼女の目が見開かれる。なんで、と震える唇が問うのを、いっそ笑い出したい思いで睨み付けた。
気づいていないと、本気で思っていたのだろうか。あからさまに変わっているというのに、それを他のさほど親しくもない奴が言うようにイメチェンの一言で納得するとでも思ったのか。
「あいつはな、お前と違って可愛いんだよ。臆病なくせに、人前ではいつも気を張って。周りのために、理不尽な事には強く意見をして生意気だとか言われてるけどな。一人ではいつも泣いて、それでも努力は怠らない…そんな可愛い後輩だったんだよ」
「う、そ。嘘よ!だって、お母さんもお父さんも、わたしの事、可愛いって。いい子だねって、言ってくれたもの!皆だって、可愛くなったねって、わたしの方がいいねって!」
「知るかよ。俺は本物以外、興味なんてねぇ。お前と付き合ったのも、あいつの手がかりを探すためなんだからな」
幼い子供のように首を振り、癇癪を起こす彼女の手首を引いて押さえつける。唇が触れそうな至近距離で、彼女を見据えて選択を突きつける。
「どうするんだ?俺のたった一つの願いを叶えてくれるのか、そうでないのか…姿見をくれなくても、俺は別の方法であいつを取り戻すけどな」
「――んで。なんで、わたしじゃ駄目、なの」
「言っただろ?あいつの方がお前よりよっぽど可愛いんだって。あいつのためなら、姿見の中で一生を終えても良いくらいだ」
彼女の目に、膜が張る。力が抜けて崩れ落ちた彼女は、一筋涙を溢して、選択した。
「――ん。あれ?」
暖かな何かに包まれているような、ふわふわした感覚に目を開けた。
暗い。何一つ見えない暗闇は、目を開けていても閉じても変わらない。
わたしと入れ替わってから、どれだけの時間が経ったのだろう。気づけば実家の蔵の奥に、布をかけられてしまわれて。あれからわたしがどうなったのか、分からないままだ。
わたしは学生生活を楽しめているだろうか。先輩を追う形で受けた高校は地元から遠く、仲の良い友達は誰もいない。私と違って可愛いわたしならば大丈夫だとは思いたいけれど、それだけが心配だった。
自分でも可笑しな気持ちだとは思う。私をここに閉じ込めたのは紛れもないわたしなのに、恨む気持ちも怖がる気持ちも何一つない。
あるのは心配と、少しばかりの寂しさだけだ。
きっと入れ替わった時のわたしが、私よりもうんと可愛かったからなのだろう。ずっと憧れていた、理想の可愛いわたし。先輩の隣に堂々と立てるような、可愛いわたしがいてくれる事が、泣きたいくらいに嬉しかった。
一人ぼっちの寂しさは確かにある。けれどそれ以上に――。
目を閉じる。変わらない暗闇に苦笑して、もしも、を想像する。
もしも。たった一つ願いが叶うのだとしたら。
「わたしと、先輩が。ずっと幸せに」
「それはごめんだな。なんで偽物なんかと幸せにならなきゃなんねんだ」
「――ぴゃぁ!?」
背後から、と言うより耳元で聞こえた声に、飛び上がる。けれど実際には飛び上がった気になっただけで、体は少しも動かなかった。
何故だろう。そう言えば、この暖かなものは何だろうか。
その前に、聞こえた声はもしかして。
「せ、先輩?」
「よぉ。久しぶりだな。暗くて何にも見えないが、相変わらず小さくて可愛いな、おまえ」
「ひぇ!?な、なんで、ここに…というか、なに、これ。なんで、私」
情報が多すぎて、頭が混乱する。何故、先輩がここにいるのか。何故、すぐ後ろから先輩の声がするのか。何故、背中が温かいのか。
何故、何故、何故。
腰に回る暖かな何かに、そっと触れる。恐る恐る指で辿っていけば、急に何かに手を取られ繋がれた。
これは、手だ。大きな手が私の手を捕まえて、指を絡めて繋いでいる。
それが誰の手なのか。少し考えるだけで、心臓が破裂しそうなくらいに騒がしくなる。
「なんでって、そりゃあ。偽物に閉じ込められた、可哀想な本物のお姫様を助けにきたに決まってるだろ?」「た、助けにって…え、それって。つまり。わたし、は…?」
「偽物の心配なんかすんなよ。相変わらずのお人好しだな…そんなとこがまた、可愛いんだけどな」
「か、かわっ!?」
先輩の言葉一つで、顔に熱が集まり出す。誰にも言われる事のなかった可愛いを、まさかの先輩に言われて訳もなく泣きたくなってくる。
取りあえず、この場から逃げ出したかった。そう思って繋がれた手を解こうとするも逆に強く絡め取られ、さらに強く抱き竦められる。
「ちょっとおとなしくしてような。なんせ、とっても疲れてるんだよ、俺。本物のおまえを取り戻す方法をずっと探して、ようやく元凶に姿見の場所を聞き出して…本当に疲れたんだ」
「つ、疲れたんでしたら、お休みになったら、どうでしょう?」
「ん。だからしばらくこのままで、な…お休み」
「せ、先輩ぃ!?」
何一つ分からないまま。会話がかみ合わないまま、耳元で規則正しい寝息が聞こえ始めてくる。
「え?ちょっと…え、ほんとに?ねぇ、先輩」
声をかけても返らない声に、途方にくれて項垂れる。
どうやら先輩が起きるまで、このままでいる事が決定らしい。
はぁ、と溜息を吐く。その息もどこか熱くてくらくらする。
離そうとしてもまったく離れようとしない、大きな手の熱で溶けてしまいそうだ。
「早く起きて下さい。お願いですから」
そっと声をかけても、返ってくるのは寝息だけ。
お願いです、と泣きたい気持ちで囁いた。
「離れて下さいよ、先輩。でもって、顔を見せて下さい」
どうか、と。起きて欲しいのに、起こさないように声を潜めながら繰り返す。
一つだけでいいので願いを叶えて下さい、と。
穏やかな先輩の寝息を聞きながら、只管に願った。
20250310 『願いが1つ叶うならば』
3/10/2025, 1:12:14 PM