ミーニシに乗ってサシバがやってくる――。
沖縄では、10月頃に北東から吹く涼しい風をミーニシと呼ぶ。沖縄に秋の訪れを告げる風である。昔からこの風が吹くと、越冬を前に渡り鳥が本土から沖縄にやってくると言われている。
ミーニシが吹く季節になると、十四歳の思い出が蘇る。
「おばぁ。遊びいってこよーねー」
「はぁい、気をつけなさいねー」
その日、学校から帰った私は、部屋に荷物を放り投げると、おばぁの声を背中に聞きながら再び家をあとにした。石垣に囲まれた庭を回り、おばぁが営む民宿の前に出たところで、キャリーバックを片手に立っている女性の姿に心を奪われた。
私よりひと回り程度年上の彼女は、まるでミーニシのように涼しげで、白いワンピース姿がなんとも美しかった。
ふいに彼女がこちらを向いて微笑む。私はその場にいるのが恥ずかしくなって、気づけば顔をそらすように彼女の脇を走り抜けていた。
友人とキャッチボールをしている最中も彼女の笑顔が頭から離れず、何度もボールを取りこぼす。その度に友人から「やー、とぅるばってる(ぼーっとしている)ばー」とヤジが飛んだ。
日が暮れるまで遊んだ後、家に帰ると、あの女性が民宿の縁側から足を投げ出して空を見上げていた。傍らに置かれた氷ぜんざいが溶けかかっている。
庭の奥にある我が家へ戻ろうと、彼女の前を駆け足で横切った時、彼女が「こんばんは」と声をかけてきた。
オウム返しで挨拶をして立ち去ろうとしたとき、後ろからおばぁの声がする。
「あぃ、拓志(たくし)、ぜんざい食べて行きなさい」
私の名が呼ばれたのをきっかけに、彼女も美咲(みさき)と名乗った。彼女が左隣の床を手のひらで優しく叩いて示す。導かれるように並んで座り、おばぁが持ってきた氷ぜんざいを受け取った。
氷ぜんざいの冷たさとは裏腹に、緊張から変な汗が止まらない。そんな私をよそ目に、美咲は落ち着いた様子で口を開く。
「のんびりしてて時間を忘れそう。このままこっちで暮らせたらいいのにな」
美咲がぜんざいをひと口含む。同級生がぜんざいを食べるときの仕草とは明らかに違う。大人の女性が持つ淑やかな雰囲気に、どこか手の届かない存在のように感じてしまう。
「都会ってそんなに大変だわけ?」
私がそう尋ねると、美咲は悲しげな笑みを浮かべて、ただ空を見上げた。
その日から、美咲を見かける度に私の胸が跳ねた。
庭のハイビスカスを愛でる姿。おばぁの料理を手伝う手元。縁側で本を読む横顔。
一言二言、他愛もない会話を交わす事はあっても、うちに秘めた想いは言葉にできず、いつも遠巻きに見つめていた。
初めて美咲に会った日からあっという間に一週間が過ぎ、私とおばぁは、民宿の前でキャリーバックを手に立つ美咲と一緒にタクシーの到着を待っていた。
「にふぇーでーびたん(ありがとうございました)」
おばぁが美咲を両手に抱いて言葉をかける。
「大変お世話になりました」
美咲は別れを惜しむように返す。私に視線を向けると優しく微笑んだ。
「拓志くん、お別れね。この島のおかげで、明日からまた頑張れそう」
そう言って、美咲はそっと私の肩を抱き、最後に「ありがとう」と告げた。
「また大変になったら、遊びに来たらいいよ」
私の口から出た精いっぱいの言葉。他にも言いたいことはたくさんあるのに、喉が固まって声にならない。
結局、本当の想いなど何も伝えられないまま、空港へ向かうタクシーを見送る。美咲はしばらく車内からこちらに手を振っていた。
十四歳の私にとっての初恋は、ミーニシに乗ってやってきた渡り鳥よりも早く、冬を待つことなく飛び立っていった。
いくらか秋の装いが深まった島に、乾いた風がすっと吹き抜けた。そして、私の心にも。
#秋の訪れ
10/1/2025, 7:27:23 PM