昔から演劇の役者に憧れていた。 記憶の一番深いところに、その光景はあった。
特に興味もなく、たまたま近くで開催されているからと両親に連れられた有名なショウ。 ミュージカル映画を何度か見た事もあって、なんとなく『そんなものだろう』と低く評価していたのだ。
わぁ、と、歓声があがる。 押し殺した悲鳴が聞こえる。 なにより、主演の輝きといったら!
スポットライトだけじゃ説明がつかない。 その役者は、誰よりも光り輝く生涯をステージの上で魅せた。
失望へ沈むシーンではステージに涙を零し、聞いているこちらが思わず「大丈夫?」と声をかけたくなるほどに悲痛な姿をして。 希望を掴み立ち上がるシーンでは主演に天井から降り注ぐスポットライトが朝日のようだった。
その場にいる誰もが、その劇に魅入られていた。 そう言っても過言では……あるとは思うが。 人には好みがあるのだから、大きなホールの中では本当につまらなく思って寝てさえいた人物だっていたかもしれない。
でも、そう錯覚させるほどに、そのショウは魅力的だった。 家に帰ってからもしばらくの間ぼうっとして、そして、『ショースターになりたい』と両親にせがんだ。
両親は暫くぽかんとしてから、すぐに色々と調べ物をしてくれた。 はずだ。
なにせ、オレはその劇の事ばかり思い出していたのだから覚えていようもない。
役者を目指し、小さな頃から発声練習を行い、そうして気付いた事がひとつあった。 自分は『模倣』がひどく得意なのだと。
声こそ変えられないが、その抑揚や言い回し、振る舞い、表情……『その人物の特徴』を捉え自分の物にすることが得意だったのだと。
でも、役者というものは常に手本がいる訳じゃない。 時にはアドリブも入れて、観客の為に自己をコントロールする必要があった。
オレにはそれが少し難しかった。 だって、経験したことのない存在をどう表現すればいいのか分からなかったから。
人生の転機というものは、唐突に訪れる。
共に役者を目指していた友人──そう思っていたのはオレだけで、あちらからは嫌われていたらしい──が亡くなり、両親もまた姿を消した。
友人を亡くしたショックにより茫然自失となっていたはずの俺を迎えたのは、見た事もない夫婦だった。 『大丈夫だよ』『辛かったね』と、まるで肉親のように背を撫で抱き締められながら、俺は思った。
ああ、俺は『この人達の子供』を演じた方が良いのだろう。と。
連れ回された精神科では、何も異常が見当たらないと結果が出た。 その時、何かが壊れてしまっていたんだろう。
俺は望まれる時に望まれる姿を、全力で魅せた。 人生こそが舞台で、俺だけがそこに立てて、周りの人は皆観客だと。
ある観客には憐れまれ、ある観客には愛された。 『奇妙なやつだ』という評判は、あっという間に『狂人だ』というものに変化した。
いつの間にか声さえも模倣出来るようになって、恐らく生来の観察眼により『コピー』として過ごす事も苦ではなかった。
何を責められる事があろう。 知り合いが入院したと聞いた先の病院で、何度も訪ねてきていた娘が亡くなった高齢の観客がいた。
だから、突然の喪失を受け入れられない観客の為に、俺は『娘』と成った。
「おばあちゃん、今日の調子はどうだったの?」「いや、ちょっと気になっただけ……もう、笑わないでよ! 前から言ってるじゃない、もう高校生なんだから服くらい自分で……あ、シャツのボタン取れて、ってだから、もう!」
声すら、表情すら、何から何までしっかりと『娘』となった俺を、外野の観客は責め立てた。
最初に娘と見間違え、声をかけてきたのはあの観客だというのに。 この演技にそうまで不満があるのだろうか? いや、無いはずだ。 少なくとも、1年続けたその演技は観客の最期まで見破られることなく、観客はずっと幸せそうに笑っていた。
だが、周りの観客はそうではなかった。 甲高い音の中、静かに涙を零し名を呼ぶ俺が、『その子』にしか見えなかったと。
その褒め言葉に喜べば、観客の瞳が揺れた。 知っている、これは、理解出来ないものを見る瞳だと。
葬儀までついていく事は叶わず、俺はただ涙ながらに答えてみせた。
「……すみません、でも、あの人が泣いていたのを見てしまったんです」「故人への冒涜という言い分は分かる、でも、自分の命が残り僅かという時に、……大切な人を亡くしてしまったなんて、つらいだろう」「俺も昔、大切な人を亡くした。だからこそ、……最期まで、勘違いをしたままで居てほしかったんだ」「娘さんとはよく顔を合わせていました、あの人なら、最期まで幸福を祈り続けたと思って……」
そう涙を拭い唇を引き結べば、観客の視線は同情と、それから慈悲深い存在を見るものに変わった。
周りにいた観客達も、学生服を着た子供が涙ながらに述べた言葉に何かを感じ取ったのだろう。 『舞台』を続けるにあたって、俺の空間認識能力は格段に高まった。 元より素質はあったのだろう。
俺は、本来死角と称される視覚外からの視線の意味や理由さえも手に取るように分かったし、その距離までもを理解していた。
病院を去る時に、看護師の1人が俺に頭を下げてきた。 『あなたのおかげで最期まで笑顔でした』と。 そんな事は分かっている。 娘の解析をして、演じたのは俺なのだから。
気付けば、俺は『自分』という存在が分からなくなっていた。 本来ならば『素』と呼ばれるマイナスの側面や、あるいはそういったペルソナの一部があるはずの部分には、『皆が望むプライベートな空間で過ごす姿』という役が既にあったからだ。
ある時はだらしなく、ある時は丁寧に。 舞台を観ているものの為に。
地声というものすら、恐らくは存在しなかったのだろう。 女性から男性、子供から老人まで、その形以外は全て模倣出来た俺はいくつかの依頼を受けた。
俺と同じ髪色の女性に恋をしたが、既に恋人がいた。 未練を振り切れるほどしっかりと振ってほしい。 と。
そんな簡単なものから、他の観客に詰られるようなものまで。
俺の人生はそのまま『主役』で、発声練習だけは欠かさなかった。 誰かの台本をなぞるだけの舞台。 俺が笑わせようとして笑顔でない観客がいるなんて、自分自身が許せなかった。
どこが悪かったのだろうか。 やはりあの時のイントネーションが僅かに違っていたからか。 それとも姿を自在に変えられないせいで付き纏う一種の不気味の谷現象という事だろうか。
分からない。 分からないなら、より鮮明に、より完璧に模倣してみせるだけだ。
不甲斐ない。 そう思って、その時にふと脳裏に過ぎったのは運命を変えたあの役者の、主演の姿だ。
どこか違和感がある。 未だに鮮明に覚えているはずなのに、どこかが。
──ああ、声を思い出せないのか。
11/30/2025, 2:36:47 AM