現実逃避
思い返せば、ろくなことがない、という言葉に尽きる。
私を愛してくれた母は幼き日に病で死去し、愛する妻を亡くした父は次に愛していた女性とすぐに再婚。同等の家柄に喜ぶ祖父母の姿は、私にショックを与えた。
父と義母の間に新しい命ができたのは、二人が一緒になって半年も経っていない。私は亡き母の面影を追っているのに、新たな命を喜ぶ父に何とも言えない感情が浮かび、棘のように刺さって抜けない。
新たな命は男であり、次の年にもう一人。こちらも男であった。私とは十一ほど差があり、新たな命の出現は不覚にも私のささくれた感情を解きほぐす。
父が弟たちを可愛がるたび沸き上がる悪感情と、義母が弟たちだけを大切にする理不尽な感情も、弟たちを見ていると和らいだ。
私は誓って、弟たちに危害を加える気はない。遊んでと駆け寄ってくる姿は愛らしく、いかにも頼れる大人演じた。
私は父の後継者であるがゆえ、事業や領地の管理を叩き込まれた。義務であり、好きなことではない。ただ与えられたことをこなしているだけだった。有能ではないが無能でもないく、ごく普通。タイミングがあればプラスにして、マイナスに傾くなら対処し、平均を目指す。
それを義母は気に入らなかったらしい。
ずっと、永遠に、プラスにならなければ駄目らしい。
彼女の実家がそうだからと、私に無茶な注文をしてくる。父が諌めればいいのだが、尻に敷かれすぎて使い物にならない。
私を無能扱いするのにそう時間はかからなかった。
無能呼ばわりは別に良い。
無能に無能と言われたところで刺さることはない。
父すらも無能呼ばわりしてきたときは、家を出ると啖呵を切った。だが泣きつかれたので保留にした。困るのは父ではなく、携わる全て者だからだ。
だが、ここで問題がでた。
父と私のやり取りを聞き、十を超えた弟を後継者にしようと思ったらしい。
その時から弟たちに後継者の学習が始まった。
良いことだ。私は健康であるがいつどうなるか分からない。出来る人間が多ければ多い方がいい。
こうして弟たちが二十に近づいたとき、色々な転機が起った。おそらく私にとっては悪いこと。
最愛の妻は真実の愛を見つけたと去っていき。
食事に毒を盛られて三日三晩生死の境を彷徨い、生還出来ても記憶障害と言語障害、片麻痺が残る。
後継者は上の弟になったが、事業のイロハが掴めず右肩下がりとなる。見切りをつけられ、下の弟が後継者になったが、さらにセンスが悪く急激に落ちた。
父と義母は私を責めた。
なぜ、このような体にした張本人に、毒を混ぜた義母に、言われなければならないのだろう。
文句を言いたいが、何も言えない。
掴んで殴りたいが、手も足も出ない。
だが、弟たちが不憫であった。
勝手に期待され、上手くいかないときこそ支えるべきなのに、貶めるだけの父と義母。
教えをこう弟たちに、私はできる限りの指示を出す。気づいてくれるときもあれば、気づいてくれないときもある。
だが事業が上手く軌道に乗れば、二人は私を用済みとみなしたか、やってこなくなった。
ある夜、私は、動かない体を必死に動かし、弟たちを殺した。そして寝ている父と義母を殺した。
これは復讐なんだと思う。
どこか清々しい気持ちになるなんて、私は罪深い人間だ。
私は目を覚ました。
二十代の男性二人が、寝ている私を見下ろしている。
「ねぇみてこれ。無くなっていた兄さんのノートでしょ」
「俺たちを題材にした悲惨な家族の末路。兄さんは作家が向いていると思うね」
彼らは私の十一離れた弟たちである。
屈託のない笑顔を向けていた。
私は喋られないのでまばたきで合図する。
「捨てないよ。兄さんの執筆綺麗だから」
そこへ、勢い良くドアを開けて、父と義母がやってきた。私を見ると目に涙を浮かべる。
「よかった」
父がそう呟く横で、義母がベッドに駆け寄り、私の胸に顔をうずめた。
「い、生きてる。よかった。助かって良かった。亡き前妻へ顔向けできないかと」
義母は涙をハラハラ落とし、私の生還を喜ぶ。
「料理を食べたお前が、私たちを止めてくれた。その御蔭で、皆、死なずにすんだ。有難う。生き返ってくれて、本当に良かった」
父は声をふり絞り、指で目尻を擦った。
「兄さん、早く元気になってね」
「そうそう。婚約者も心配してたから、もう少し調子が良くなったら呼ぶからね」
弟たちは笑顔で私の手を取る。
私は目を瞑る。
一度目の人生でこの家族を全員殺した。
勘違いとすれ違い、そしてせん妄で、皆が私を嫌っていると思い込んでいた。
私は心の底から後悔して、神に祈った。
目を開けると、今がある。
二度と現実逃避をしない。一度目の人生を忘れず、正気を保ち続ける。
私は目をあけ、家族を見つめた。
これがやり直した、私の第二の人生だ。
2/27/2026, 1:42:52 PM