また会いましょう。
そう書いておけば、きっと叶うと信じている。
小学生の頃、ある転校生と仲良くなった。
彼は物腰が柔らかく、常に優雅な微笑みを浮かべていた。女子からは当然、男子からも「なんかどきどきする」と一目置かれていて、クラスだけでなく学校全体で大人気だった。私も例に漏れず、彼の優しくて穏やかな微笑みの虜になっていた。
幸運なことに同じクラスだった私は、隙あらば話しかけたり遊びに誘ったりと、今では考えられない積極性でアプローチをかけていた。その甲斐あって、彼とはものすごく仲良くなれた。
残念ながら全国を飛び回るご両親の都合で、すぐに転校してしまったけど、社会人になった今でも文通を続けて関係を保っている。
「あんたもよくやるわ。もう二十年だよ?」
「うるさいなー。別にいいでしょ」
仕事帰りの居酒屋は賑やかな笑い声が溢れている。
私の目の前でジョッキを空にした彼女は小学校からの友達で、なんだかんだ近況報告をするくらいには仲が良い。だから今も、彼のことを話したのだ。
「そんなにハマるほどイイ奴だったっけ?」
「イイ奴……かどうかは分かんないけど、すっごく優しくて、穏やかで、とにかく一緒にいて落ち着く人だったの!」
「ふーん。ていうか、なんで文通なわけ? 今の時代、通信手段なんて腐る程あるのに」
「まあそうなんだけど……なんか、言い出しにくくて。メッセージとか電話とかって印象変わるしさ。お互いに」
「少女漫画か。今どき小学生の方が進んだ恋愛してるわ」
冷めたような呆れたような目で見られる。
そう言われるのも仕方がないとは思うけど、長年続けてきた習慣はそうそう変えられるものでもない。
何度もアドレスや番号を聞こうとして、そのたびに便箋を捨ててきたのだから、きっとこれからも聞けずじまいだろう。
「でもさ、私らだって結婚適齢期って言われる年齢になったってこと自覚しなよ?」
「分かってるよ。親がめっちゃうるさいもん」
「あんたのことじゃなくて相手のことだよ。優しくて穏やかで仕事も順調なんて、そんな優良物件が残ってるわけなくない?」
彼女に言われて押し黙る。
考えなかったわけじゃない。むしろ、最近は返信が遅くなってきたのだ。もしかしたら――という推測は止まることはない。
手紙には書かないだけで、もう誰かと結ばれているかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになる。
「会えるかどうかも分からない相手に入れ込んで、あんただけが寂しい思いをするなんて嫌じゃん」
「……私だけ?」
「そ。あんただけ」
店員が運んできたジョッキを受け取って口をつけながら、彼女は左手を見せてきた。
綺麗な爪に施された薄桃色のネイルを見て、光を反射する何かに気づく。細い指に燦然と輝いているのは指輪だ。しかも、薬指にぴったりと嵌っている。
「うっそ! 結婚するの!?」
「あんた全然気づかないんだもん。報告しようにも、ずーっとあいつのこと喋ってるしさぁ」
「それはごめん。でも、おめでとう! 付き合って何年だっけ?」
「もう六年になるかな。私の仕事が軌道に乗っちゃったから、予定よりも大幅に遅れちゃったんだよね。でも、ずっと待っててくれてさ」
「だって、彼氏さんベタ惚れだもん。待っててって言われなくても、ずっと待ってたと思うよ」
「やっぱり? まあ、まだ何も決めてないんだけどね」
「乗れそうな相談ならいくらでも乗るからね! 結婚式には絶対呼んでよね!」
「ありがと。ていうか、あんたは強制参加。友人代表スピーチ、めっちゃ期待してるんだから」
幸せそうな顔をしながら笑う彼女を祝うのと同時に、いつまでもこのままじゃ駄目なのかと現実を突きつけられた気がした。
翌日出社してから、自分の部署にいる既婚者たちを改めて見つめてみた。
先月入籍した女性は幸せそうだし、十三年連れ添った男性は今日も手作りのお弁当を広げているし、子供さんがいる人は連休中の予定を立てるために仲間と調整を掛け合っている。
私が彼と文通をしている間に、あの人たちはもっと身近で出会って、もっとよく知っている人と恋に落ちたんだ。
今までの時間に後悔なんてないけれど、ほんの少しの焦りみたいなのは感じるかもしれない。
こんな風に思ってしまうのも嫌で、誰にも気づかれないように小さく静かに息を吐き出した。
お昼休憩が終わり、余計なことを考えなくてもいいように仕事に集中しようとした。そのタイミングで上司に呼ばれて別室に移動する。
デスクで片付く要件ではないのだろうかと怪訝に思いながらついていく。
「明日から入社する子なんだけど、君と知り合いだと言うから先に顔を合わせた方がいいかなと思って」
「知り合いですか……?」
どこか癒やしの雰囲気をまとっている上司に言われながら部屋に入ると、ソファーに腰かけていた女性が立ち上がった。
真っすぐ伸びた姿勢と優雅に微笑んでいる顔を見て、綺麗な人だなと圧倒される。
「お久しぶりです。私のこと、覚えていらっしゃいますか?」
あなたみたいな美人と知り合った覚えはないのですが。
喉のギリギリまで出かかった言葉をなんとか飲み込んで、考えるふりをしながら首を傾げる。曖昧に笑う私に、彼女は怒るどころか明るく笑った。
「手紙の文末に『また会いましょう』って、必ず書いてくれたでしょう? 私にとって、そのひと言がずっと心の支えになっていたんです」
「……え?」
「また会えて、とても嬉しいです」
言葉のとおり、本当に嬉しそうに笑う彼女は、私がずっと文通していた相手だった。
11/14/2023, 9:13:14 AM