二月も半ばになって降る雪は、雨混じりで湿っている。
踏んだそばからじんわりと、まわりがグレーになって、淡く溶けていく。
「寒いんだよね」
となりを歩く沙保が言う。
「まあ、まだ二月だし」
私が答えると、沙保は口を尖らせた。
「まだ、ってか、もうじゃん。あと少ししかないよ、うちらが同じクラスでいられることは。」
「それはわかんないじゃん」
四月から、私たちは五年生になる。
高学年というものになる。
児童会も始まるし、沙保はもう書記に当選している。
クラスの中では、恋愛の話もぼちぼちでてきた。誰が誰を好きだとか、毎日教室のどこかでそんな話がささやかれている。
流行りに敏感な子は、どこの洗顔を使ってるとか、ここの美容液はいいとか、この服のブランドが好きだとか、そんなことばかり話している。
私にとっては、なんだか最近、学校は居心地の悪い場所だ。
みんなでトランプしてても、すぐ誰かと誰かがケンカしてしまう。
なんだかとてもめんどくさい。
なんとなく途切れがちに話していると、学校が見えてきた。玄関にいるのは、詩織のようだった。
詩織と私と沙保、最近はこの三人でつるむことが多い。詩織と沙保は流行に敏感なほうなので、私は会話がつまらないと内心思っている。
「今日、漢字の小テストだね」
「え、やばい。八十点以下追試でしょ」
そんなことを話す二人にそれとなく相づちをうちながら、教室に入る。
冬の朝の教室は、シンプルに寒い。
換気とかいって、ちょくちょく窓を全開にするし。そのくせ上着を着てはいけない。
お母さんが心配して、ババシャツみたいなやつを勧めてきたけど断固拒否した。
首から見えたら、クラスの中での位置が危うくなる。
私たちは動物園の猿みたいに寄せ集まって、寒さをしのいだ。
「ちょ、光太。なんで半袖なん」
「暑くね?」
クラスメイトの光太は、お調子者だ。
この寒いのに、なぜか半袖で教室の中を駆け回っている。
変わったことをするのはいつものことなので、一応一度は突っ込むけれど、みんなそれ以上は取り合わない。
チャイムが鳴ると、みんな大人しく席に着いた。朝から怒られるのは面倒だし、そんな元気なんてない。低学年じゃあるまいし。
「起立、おはようございます」
日直が朝の会を進めていくのを、私は頭のすみでぼんやりと見ている。
昼休みに事件は起こった。
光太が、となりの席の七海をぶったのだ。
七海は耳の横で二つに結んだ髪を振り乱しながら、大泣きした。
「親切のつもりだったのに!」
光太は顔を真っ赤にしたまま、何も言わなかったので、駆けつけた先生にしこたま怒られた。
でも、頑として理由は言わなかった。
光太は放課後まで、固く口を結んでいた。
「七海さあ、光太になんで殴られたと思う」
詩織が言う。
「さあ、またなんか腹の立つこと言ったんでしょ、七海が。」
七海は虚言癖があるのだ。
親がロサンゼルスに住んでたことがあるとか、映画監督と知り合いだとか。
世界一周旅行に夏休み行くだとか。
めんどくさいからみんな取り合わないけど、そんなことばかり言っている。かまってちゃん、て奴なんだと思う。
「それがさあ、光太の妹の千夏が関係してるらしい」
「え、二年生の?」
内容はこうだった。
昼休みに二年生の担任が、私たちの担任に事情を説明していたのを、七海は聞いてしまった。
いつも同じ服を着ているといって、二年生のクラスメイトが、光太の妹の千夏ちゃんをバカにしたらしいという内容だった。
それで、千夏ちゃんは、光太のところに駆け込んできて泣いたのだ。
それを聞いた光太は、黙って自分のトレーナーを脱いで、千夏ちゃんに着せたのだった。それで光太は、半袖だったのだ。
光太の家は、光太が二年生のときに離婚した。お母さんが出ていってしまったのだ。なぜか、光太はお父さんとは住まずに、おばあちゃんと住んでいるらしい。
でも、そのおばあちゃんの具合が良くないのよって、お母さんが誰かと電話していた。
七海はそのことを知り、光太にこう言ったのだ。
「あたしのもう着なくなったお下がり、千夏にあげるよ。そしたらかわいそうなんて言われなくなるじゃん」
光太はそれが許せなかったようだ。
「あーあ」
私たちはいっぺんにため息を吐いた。
そういうことじゃないのになあ。
そんなこと言ったら、いつも同じ服じゃん、て言った子たちと同じなのに。
光太がなんで、いじめた子たちに殴りかからないで、黙って服を着せたのか、わかんないんだなあ。
「え、なんで?」
詩織が言うと、沙保は答えた。
「だからあ。そんなことに負けんな、ってことだよ」
私もそう思う。
あのプライドの高い光太のことを、七海はなんにもわかっちゃいないんだ。
「光太、めったに殴ったりしないのにね、うるさいけど」
「よっぽど腹が立ったんだね、知らんけど」
私たちはそう言いながら、ちらほら雪を吐く陰鬱な空の下に続く玄関をくぐった。
帰り道、バス停にいくと、光太がいた。
ジャンバーも着ず、相変わらず半袖のままだった。
体も、顔も真っ赤だ。痛いほどに。
雪は、降り続けている。
とくにかける言葉はない。少し間を置いて、私は自分のジャンバーを脱いで、トレーナーだけになった。
ジャンバーを光太に貸したりはしない。
そんな関係じゃない。
光太のほうを見もしないで、ただジャンバーを腕に抱えた。すごく寒いと思った。
光太がこっちを見ているのを感じる。
でも、何も言わなかった。
お互いになんにも言わないで、前をにらみつけながら、バスを待った。
鉛色の風景の中を、オレンジ色のライトを照らしながらバスが走ってきた。
乗ろうとした刹那、光太が私の腕をつかんだ。
視線が合った。
「冬なんて寒くねーよな」
光太が、そういって笑った。
「寒くねーわ」
私も笑った。
この雪がやんだら、きっと春が来る。
2/26/2024, 9:34:59 AM