手放す勇気
小学生の頃から、大好きな女の子がいる。
5年生の時に転校してきた子。
運動神経が良くて、すぐみんなと仲良くなって、
先生からも気に入られてて、優しくて、可愛くて、家はお金持ちで、両親からも愛されてて。
きっと全てを持っていた子。
自分とは違う星の元に産まれて来た子。
そしてその持っていたものを手放してまで、
ぼろぼろの教科書とノートを使っていた私を救いあげた、とてつもなくばかな子。
世界で一番大好きな子。
中学に上がってからは生徒の人数も増えて、人間関係では何も不自由せず生きていけた。
高校も、仲のいい人達と一緒の高校に上がれた。
違う学校から来た人達のグループと仲よくなったりもして、運動部に入って、
毎日それなりに楽しかった。
だから、忘れていたんだろう。
二年生に進級する時にクラス替えがあった。
何人か仲のいい人が一緒でほっとした。
他の人もほとんどはそうだったようで、休み時間もみんな楽しそうにお喋りをしていた。
ただ一人。
ただ一人だ。たった一人。
何故か浮かない顔、いや不安に、恐怖に、
諦めに満ちたような顔をした子が目についた。
これまでと同じなら、同じであれたなら、きっと何も見なかったことにしお喋りに加わっただろう。
妙に気になって覗いた机の中に、
ぼろぼろになった教科書が入っていたのを見た。
朝配られたばかりの新しい教科書が。
それを見て気づいた。今更気づいた。
その子の近くでお喋りしていた生徒が、
その子を見ながら、楽しそうに指さしながら、
覚えのある嫌な笑いをしていたことに。
その子の胸についた名札に書かれた名前が、
大好きな女の子と同じだということに。
ああ、思い出した。
教室で突き飛ばされた私に手を差し出したあの子。
いじめられっ子なんか助けようとしたせいで、
みんなから新しい標的にされて、成績が悪くなって、先生からも怒られて、見ないふりされて、日に日に長袖のシャツから見える手首に痣が増えていって、ぜんぶ手放したあの子。
二人ぼっちなら何か変わったかもしれないのに、
みんなの和に入りたくて仕方がなかった、
気持ち悪い子。
思い出したよ、思い出したさ!
でもどうしたらいい?どうもしなくていいんじゃないか?私は知ってしまっているのだから。誰かを助けることは、手放すことになりうることを。
積み上げたぜんぶを、持っていたぜんぶを。
それを知らなかったあの時のあの子と、
今の私は違う。手放す勇気なんて、到底無い。
これでいいんだ。関わらなくていい。私は何も知らない。知らなかったから。気づかなかったから。
放課後、下駄箱で靴を履き替えている時に、教室に提出する課題を忘れているのを思い出して、あいてなかったら教室の鍵を取りに行かないとなんて考えながら、その足で歩いてきた道を戻った。
教室の扉は開いていた。
中から物音が聞こえた。
その音の主達に、私はバレていない。
まだ間に合ったはずだ。
だけど私はドアの枠を跨いだ。
そして、大好きなあの子に手を差し伸べた。
持っていたスクールバッグを手放して。
手放す勇気。
5/17/2025, 8:17:40 AM