「貝殻」
小さな瓶に入った薄いピンク色の貝殻。まだ小学生の頃、うちの家族と貴司の家族で海水浴に行ったときに拾ったものだ。波打ち際で砂のトンネルを作っていて見つけた。それから二人で夢中になって貝殻を探した。白い砂がきれいな海岸で、砂も少し持ち帰った。母が揃いの小さな瓶を二本見つけてくれて、白い砂と一緒に入れて貴司と分け合った。
あの頃のままでいられたら良かったのに。無邪気な子どものままで。高校3年のとき手をつかまれて、心臓がバクバクしてどうにかなりそうだった。貴司と手をつなぐなんて子どものときは当たり前だった。この貝殻を集めたときだってそうだ。貝殻と砂を入れた袋を大事に持って、反対の手を貴司とつないだ。
あのとき自覚した感情と欲望から逃げることで、俺はなんとか生きてこられた。それはこれからも変わらない。
真夜中の電話に起こされた。母からだった。
「もしもし、櫂?」
「何か急用?こっちは夜中だよ」
「そうなの?ごめんね。高校の同窓会の案内が来てるの。いい機会だから一度帰国したらどう?」
「欠席で出しといて。他になければ切るよ」
母さんはいつもこうだ。思いついたらこっちの都合なんて考えない。まあ、そんなところに救われてもいる。変に気をつかうことがない。だから急にアメリカの大学に行きたいなどというわがままも、それが本当にやりたいことならと応援してくれた。
母さんはまだ貴司の母親と仲がいいのだろうか。貴司が今どうしているか、母さんなら知っているだろうかか。
目が覚めてしまったのでベッドを出て水を飲んだ。本棚の隅に置いてある貝殻の入った瓶を手に取る。高校の同窓会か。貴司は出席するんだろうか。会いたい人は貴司だけ。同時に会いたくないと思うのも貴司だ。
気がつくと貝殻の入った瓶をきつく握りしめていた。見えないようにデスクの引き出しにしまう。隠しても気持ちは消えないのに。何度か捨てようとして出来なかった。貴司はまだ持っているだろうか。
9/6/2024, 8:11:11 AM