傾月

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白い壁。壁に窓。窓からは青空が見える。
ここは病院の入院棟。ここは私がいた病室。
随分長い間入院していたように思う。移ろいゆく四季を、いったい何回見送っただろう。
医師が色々と手を尽くしてくれたが治療の甲斐虚しく、私は死んでしまった。

今私は霊安室にいる。顔に白い布をかけられて、斎場に運ばれるのを待っている。
そんな私の亡骸を横目に、わたしは病室まで戻ってきた。そう、わたしは私。わたしは私のいわゆる"幽霊"とか"おばけ"というやつ。本当は、わたしは私の傍にいなきゃいけないような気がするけど。
わたしがここに戻ってきた理由はただ一つ。この窓からの眺めを最後にもう一度見るため。この窓からの見える日によって色の違う空や形を変えながら流れていく雲、極稀に飛んで行く鳥を見るのが好きだった。
想いを馳せつつベッド腰掛け窓から外を眺めていると、後ろのドアが開いた。入ってきたのは担当してくれていた医師。いつも、草臥れた白衣とすっかり履き潰したサンダルで、俯き加減でやってくる先生。
足を止め、目を見開きこちらに向いている。え?わたしが視える?疑問に思っていると、先生がゆっくりと口を開いた。「どうしてここにいるの?」
そこから、何故か解らないけど体を抜け出せたこと、この部屋にもう一度だけ来たかったこと、先生への感謝の気持ちなどを一気に捲し立てた。
先生はそれらを静かに聞いていた。そして「助けてあげられなくてゴメンね」と言った。しかし、今のわたしにはそんなこと、もはやどうでも良かった。死んだ者が蘇ることはないのだから。そんなことよりも、これからどうなっていくのか、それが気になってしかたがなかった。そんなわたしの気持ちを見透かすかのように、先生は言った。「早く自分のご遺体の傍に戻ることをおすすめするよ」
先生が言うには、もうすぐ迎えが来るが、その時きちんと傍にいないと体だけ持って行かれて、取り残されてしまうらしいのだ。「そうやって取り残されて、どこにも行けなくなったのが、いわゆる地縛霊とか浮遊霊ってやつね」そう無表情のまま先生が言う。
何故先生がそんなことを知っているのか不思議だったが、深追いしてはいけない気がして聞けなかった。そして、このままこの部屋に居続けるのも良いかなと思ったが、お世話になった先生や病院に迷惑をかけるのも嫌なので、大人しく私の傍に帰ることにした。
またいつか会えますか?そう言ったわたしに先生は「さぁ、どうだろうね」「でも、もしまた会えたら、その時はお茶でもしましょう」そう言って笑いかけてくれた。
その笑顔が見れただけで満足です!そう言って、わたしは私の傍に帰った。
先生は静かに見送ってくれた。

私の傍に戻ると、見知らぬ人が3人立っていた。葬儀屋さんかな、と思ったがよく解らない。
3人の内の1人が、表に続くドアを開けた。すると目が眩むほどの光が差し込んできた。ああ、これはお迎えだ。わたしは悟った。これでこの世とは本当のお別れ。
またね、先生。まだ来ないでね。でも、いつかまたね。


―――旅立ち[死]


                     #30【病室】

8/3/2023, 9:40:43 AM