Altair

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 中性的な見た目で、口調は粗雑で、仕草は上品。
 背は高くて、手足も長くて、髪も爪も瞳も綺麗。
 いつも穏やかで、にこやかで、なのに隙がない。
 そんな知り合いに呼び出された。


「なんか不機嫌だな?」

 今日の待ち合わせは古民家風のカフェだった。癒やしの雰囲気に似合わないゴツいスピーカーから流れるアップテンポな曲は、いかに日々が楽しく心躍るものかを説いている。静かなクラシックに変えてほしい。

「ふむ、こんな楽しい曲を聞いてもしかめっ面のまま……さては、恋人にでもフラレたか」
「フラレてない。あんたと一緒にしないで」
「失礼だな! 意見のすれ違いが発生しただけで別れてはいないぞ!」
「その結果、音信不通のまま一週間経過したんでしょ。世間ではそれを自然消滅と言うの」

 こいつが私に連絡を寄越すのは、大抵ひとりになって暇を持て余してるときだ。今回もどうせ大した用事じゃない。

「で、今回はどんな意見のすれ違い?」
「おまえが心躍るときってどんなとき?」
「はあ?」

 人がせっかく話を聞いてやろうとしてんのに、突拍子もないことを──いや、こいつはそういう奴だ。真面目に取り合うだけ無駄だ。

「……恋人と一緒にいるときかしらね」
「あー、やっぱ同じこと言うよな。そりゃそうだ」

 頻りに頷く顔が“予想してましたよ”と小馬鹿にしたように笑うので、思わず眉間にしわが寄る。

「じゃあ、あんたは心躍らないわけ? 愛しい愛しいマイダーリンと一緒にいて」
「踊るに決まってんだろ〜? なんなら軽快なステップを踏みながら愛を歌うし、勢い余ってプロポーズからのハネムーンへ飛び立つぜ」
「馬鹿じゃないの?」

 我ながら辛辣な感想が口をついて出た。

「ココロオドルってのは好きだっていう感情の表現だろ? 一緒にいるからじゃなくて、好きだから心が躍る。だから、俺はいつでもどこでも心躍ってるぜ」
「……つまり?」
「マイダーリンがいてもいなくても、俺の心は常に踊ってるぜってこと」
「馬鹿じゃないの」

 可愛い恋人のいじらしい問いかけに対する回答とは思えない。信じられないとばかりに顔をしかめて睨んだところで、こいつは顎に手を当てて唸り始めた。

「うーん。なんか盛大に誤解されてんな」
「私に弁明するよりも、マイダーリンに謝罪すべきだと思う」
「謝罪?」
「マイダーリンは、もっとときめくセリフを期待してたでしょうね。君といるだけで心が踊るとか、君が特別なんだとか」
「言われたいのか?」
「……どうかな」

 改めて聞かれると困ってしまう。もし恋人にそんなセリフを言われたら、素直に喜べるだろうか。正直今は自信がない。

「ほらな? 誰かとか何かに心が踊るわけじゃないだろ?」
「……うるさい」
「その対象を好ましく思うからこそ、ココロオドルってもんだろ。だから、近くにいようが遠くにいようが関係ないのさ」

 ふふんと鼻高々に胸を張るこいつが腹立たしい。苛立ちを隠すのも馬鹿らしくなって、真正面からジト目を向けてやる。
 何かしらの反論でもしてやりたかったけど、恋愛初期は確かに距離なんて関係なかったと納得してしまって、結局何も言えなかった。
 ため息をこぼして視線を下げた瞬間、テーブルの上に置かれていた携帯が鳴る。ご丁寧に『マイダーリン』と書いてあって、背筋がぞわぞわするような気色悪さを覚えた。

「登録名がキモい」
「名前だって立派な個人情報だろ? こうしておけば、ぱっと見誰だか分かんねえしな。──もしもーし、ひと段落ついたのか?」

 秘匿するにしても他に方法があるだろう。うんざりするような脱力感に襲われて、額を押さえて項垂れる。その間もやけに楽しそうな弾んだ声が聞こえてきて、なおのこと気分が沈む。

「んじゃあ、いつもの場所で──はいはい。仰せのままに」

 通話を終えてすぐさま立ち上がる。見上げた顔はいつも通りの明るさで、曇り空を知らない太陽みたいだった。

「じゃまたな! ここの支払いはしておくから、美味いランチでも食って元気出せよ!」

 それだけ言って二度と振り返らない背中を見送る。言葉通りなら、もうすぐランチが運ばれてくるんだろう。どこまでもスマートで、やっぱり腹が立つ。

「……あーもう。マジで勘弁してよぉ」

 軽やかなベルの音を聞いてからテーブルに突っ伏す。気遣われて嬉しいのに、特別じゃない事実が虚しくて、それでも拒否できない自分が情けない。

 ココロオドル理由が好意をもっているからだと分かっているのなら、好意を抱かせるような振る舞いをしないでくれ。見たこともない名前も知らない『マイダーリン』に嫉妬してしまうから。

10/10/2023, 3:45:34 AM