かたいなか

Open App

「やさしさなんて」。なんと悲壮なお題でしょう。
ガチャのピックアップという「やさしさ」にトンと報われない物書きが、こんなおはなしをご紹介。
最近最近、都内某所のおはなしです。
某本物の稲荷狐が住まう稲荷神社に、絶賛修行中の子狐がおりまして、
一人前の御狐となるべく、稲荷のご利益ゆたかなお餅を売り歩いたり、世界のピンチを救ったり。
いろいろ、やっておったのでした。

子狐が御狐の下っ端、見習いとして認められると、
証明として、子狐に名前が贈られます。
名前を貰えば子狐は、本物の御狐見習いとして、稲荷の神様に、認めてもらったことになるのです。

この日がまさに、子狐に名前が贈られる日。
神社に植えられた「名付けの桜」が、
真夏ながら、盛大に、それはそれは美しく咲いて、
子狐の修行が報われたことを、知らせました。

「さいた、さいた!」
子狐はお母さん狐から、「名付けの桜」のことを聞いておりました。
「キツネのさくら、さいた!」
名付けの桜は不思議な桜。子狐が名前を得たそのとき、パッと咲いて、サッと散ってゆく。
夏にせよ冬にせよ、咲く時は咲く桜なのでした。
その桜が、子狐の前で咲いたのです。

で、その桜から「やさしさなんて」にどう繋がるのかといいますと。

「んー、んん?」
子狐の目の前に、子狐が与えられた名前を知らせる小さな巻物が、ゆらりゆらり、降りてきました。
美しい墨字は読みやすい楷書体モドキで、
【奇鍵守美食銀杏狐】
と書かれていました。

読めない!!

自分が貰った名前を読めない子狐です。
仕方ないので、お母さん狐に聞きに行きました。
「かかさん、かかさん、これ読んで」

「それは、ああ、これは……!」
子狐が持ってきた巻物を見て、お母さん狐は全部理解しました。子狐の修行が認められたのです!
「ああ、ミケなんて、お前らしい名前を貰って。
よく頑張りましたね。よく、よくぞ……!」
お母さん狐は涙を流して、つよく、優しく、子狐を抱きしめてやりました。
「今日はお祝いです。ととさんにも、おじーじにも、おばーばにも、見せておいでなさい」

「む。」
コンコン子狐、ちょっと複雑な気分です。
そういう系のやさしさなんて、今は違うのです。
まず名前を、子狐の名前を読んでほしいのです。

仕方無いなぁ。子狐は早く名前を知りたいので、
今度はお父さん狐に、聞きに行きました。
「ととさん、ととさん、これ読んで」

「おお!おおお!とうとう、名前を貰ったんだね」
子狐が持ってきた巻物を見て、お父さん狐は全部理解しました。子狐が認められたのです!
「ととさんも、お前より少しだけ早かったけれど、お前くらいのときに名前を貰ったんだよ」
お父さん狐はとても嬉しそうに笑って、つよく、優しく、子狐を撫でてやりました。
「おじーじや、おばーばにも、見せておいで」

「むぅ。」
コンコン子狐、やっぱり複雑な気分なのです。
だから、そういう系のやさしさでは、ないのです。
子狐はまず、自分の名前を、教えてほしいのです。

ええい、3度目の正直だ!
子狐はやっぱり名前を知りたいので、
今度は教えてくれそうなオッサンに、聞きました。
「オッサン!タバコのオッサン!これ読んで!」

「どうした。随分イライラしているじゃないか」
子狐が持ってきた巻物を見て、子狐とよく遊んでくれるオッサンは、タバコを消して首を傾けて、
「どれ。……キ?……カギモリ?ビショク???」
やさしさなんてハナシじゃなく、完全に、額にシワを寄せて難しい顔をしました。
子狐の巻物が読めないのです。

「なんだこれは」
「キツネのなまえ!」
「難しい名前だな」
「むずかしい!よめない!」
「うん。 うん……そうだな」

なんだろな、なんだろな。
1人と1匹は一緒になって、首を傾けます。
「なんです、それ」
「こいつの名前だとさ」
「ふむ、 ふむ……?」

最終的に子狐が自分の名前を知ったのは、
日が暮れて、月がのぼって沈んで、また日が上がってきてからのこと。
やさしさなんて、これっぽっちも役に立ちませんでしたとさ。 しゃーない、しゃーない。

8/11/2025, 9:46:47 AM