薄墨

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ブレスレットを右手首にはめる。
控えめな紐ブレスレット。
母親から貰ったブレスレット。

ブレスレットに一つだけ嵌った石の、黄色と褐色の筋を撫でて、心の中で、おまじないの言葉を唱える。
「高く高く」
「高く高く」

机の向こうの窓の外は、黒い夜空色に染まっている。
開いたノートはもう、黒字の数式と赤い文字で埋め尽くされている。
明日はテストだ。クラス替えの。

自称、進学校であるうちの学校は、進路先の自由度が高い、というので有名だ。
うちの学校の場合、年度始めに発表される学年クラスは、総学や学校行事、HRの時にしか使われない区分だ。
それ以外の時ーつまり、普通の日の授業の時は、各教科、定期テストのクラス順位の結果で細分されたクラスで、少人数体制で、それぞれ授業を受ける。

理由は簡単。進路が人によって違うからだ。
進学を目指す生徒は必死で勉強するから、クラス順位は上がる。だから、上位クラスで、受験対策クラスの、ガチの勉強をする。
中位くらいなら、専門学校への進学か就職を目指している層になるから、面接や社会常識やそういう対策を含めた勉強をする。
下位なら下位なりに、進路を見据えた無理のない勉強をする。とはいえ、部活推薦を狙う子や特定の科目が苦手な子がこのクラスに入ったりもするので、結構しっかり学校の体をなしている。

私は今、Aクラスにいる。
うちのクラスでもトップ10の、一番高いクラスにいる。
でも元々、そこまで勉強は得意じゃない。
毎回、Aクラスギリギリだ。特に理数教科は。

だから頑張らなくてはいけない。
だからもっと高みを目指さないと。

私はこの家から出たい。
勉強をして、しっかりとした将来を勝ち取りたい。
もっと、高く、高く。
もっと広い世界を見る。そのために、私はもっと高く高く登らなくてはいけない。

うちの両親は、大学には行っていなかった。
父親は、勉強なんかできなくても良いと言った。

でも、それは父親のように地方の自営業で、仕事を生きがいとして楽しみながら生きていくつもりの人にだけ、適応される理論だと私は知っていた。
小学校高学年で、既にスマホを持たされていた私は、世の中には色々な人がいて、色々な常識があるのだと知っていた。

私は仕事を生きがいにするつもりはなかった。
もう生きがいがあったから。
推しという生きがいが。

私は推しのために生きたかった。
だから両親のように、地方で勉強もそこそこに生きていくわけにはいかないのだ。

推しのグッズを買うためにたくさん稼ぎたいし。
推しのライブやイベントに出るために都市圏で暮らしたいし。
脳は推しのためだけに使いたい。

私は早くここを出たかった。
ブラック企業とか、仕事のあれこれとか考えずに出来る仕事に就きたいし、お金を余裕を持って使える生活を目指したい。
そのためにはまず受験。次に就職だ。

うちはたくさんお金があるわけではないから、進学するなら奨学金もいる。
私立に行くことも考慮するなら、特待生を目指せるくらいの勉強はできないと。
だからAクラスから落ちるわけにはいかない。
私は今のところ、そう思っている。

全ては推しのため。推しのためだ。

高校生で、何事も両親のお金でする今の私には、半端な応援しかできない。
だから、私は今頑張ることにした。
頑張って、いつか、自分の全てを推しに捧げる。
そのために高く高く登っていきたい。

天然石が有名な観光地へ遊びに行った時、母親が、お土産に何か買ってあげるから、一つ選びなさいと言った。
私は迷わず、このブレスレットを選んだ。
タイガーアイ。成功と金運をもたらしてくれるという石。

紐のブレスレットなら、スクールカバンにもつけられる。
だからお守りにしよう。
私が、高く高く登れますように、という思いを込めて。

ブレスレットのタイガーアイは、鈍く輝いている。
ノートを閉じて、カバンにしまってから、ブレスレットをそっと、優しく、撫でる。
ぴかぴかの石の、ひんやりとした丸さが、私の心を落ち着けてくれる。

高く高く。
私なら頑張れる。大丈夫。

ブレスレットを外して、カバンの持ち手に付け替える。
タイガーアイが、つややかにきらり、と輝いた。

10/14/2024, 1:13:53 PM