深夜徘徊猫

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 私の書く文章は何処までも空っぽだ。

 最近、本を読む機会が減っていた。ましてや、書くことも。忙しくなったと言うのも一つの理由だが、一番は自分には芯がないと気付かされてしまうから。

 元々、小学生の私は本を読むのは好まず、寧ろ嫌いで、苦痛であった。だが、優等生としていたかった自分は興味もない小難しそうな小説を手に広げはするが、まともに読むことはしなかった。

 本は自分をよく見せるための一つの道具程度にしか思わなかった。内容なんてどうでもよかった。だがある日、図書カードをもらったが持て余していたところ、運命かのような本に出会った。表紙の絵が可愛かった。それだけの理由で買ったつもりだった。

 内容は小学生低学年から中学年くらいの子が読むようなもので、高学年の自分には合わない本だなと思いつつ広げる。途端に大きめの文字が目に飛び込んでくる。この程度なら読んでもいいかも。そう思って読んだ。

 いつの間にか物語にのめり込んでいる自分がいた。何故その本だったのかは分からないが初めて本を「道具」としてではなく、「好き」として受け入れられた瞬間だった。

 それからというもの、本をよく読むようになった。それも本を取り上げられて苦しむくらいには。そのうちだんだんと自分も物語を書きたいと思うようになり、将来は小説家になりたいと願うようになった。

 ただ、本好きの母は気づいていたのだ。私が私自身をよく見せようとするために本を読んでいたと言うことが。実際、小さな頃の癖は中々抜けないもので、自分をよく見せるため本を読むこともまだザラにある。だからその夢は反対され、自分も諦めるようになった。

 今日、本を読んでいて思う。あぁ、この作者は「物語」が書けるのだと。自分をよく見せるための道具として物語達を扱ってきた私には空っぽの文章しか書けない。本当に小説家を目指していた身として最低だと思う。

 でも、どうしても書きたい自分がいる。自分をよく見せたいかなのは自分にもよく分かっていない。私は物語が好きなのか、物語を書く自分が好きなのか分からないまままた文章を書く。私には全て抜け殻のように見えてしまう文章を。いつか、空っぽが埋まるまで。ずっと。

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テーマに関係ない上に自分語りですみません。今日読んだ本が私に物語を書くことについて問われているように感じてつい書きたくなってしまいました。伝えたいことを伝えられる小説家になってみたいものです。

5/5/2025, 2:09:12 PM