美佐野

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(ふたり)(二次創作)

 それまで、カゲツはこの山の小さな社で一人で暮らしていた。役目を賜り、故郷を離れて随分経つが、一年を通して正常な空気と水に満たされたこの空間は嫌いではない。むしろ役目のためには邪魔の入らない空間で良かった。
 そんな折、彼が――牧場主アキトが迷い込んできたのだ。
(不思議な人だ、と思う)
 この地から離れない自分と話しても何の益にもならないだろうに、彼は毎日のようにカゲツの元を訪れる。一言二言会話をして、決まって彼が見つけたハーブや花を贈られ、短い逢瀬が重なっていく。牧場主という生業に興味を持って、彼の作る料理を振舞ってもらったこともあった。そして、一度、彼の誘いに乗り散歩に出掛けたのをきっかけに、カゲツは彼がいなくても外に出るようになったのだ。
(ここには、穏やかな時間が流れている――街も、人も)
 カゲツが街に足を運ぶようになったのは夏の月だったが、日差し降り注ぐ昼間でさえ、時折吹き付ける涼やかな風のお陰で過ごしやすい。むしろ、普段いる社の方が、湿度が高く不快感があった。刺激の少ない地で暮らし慣れた自分には、外の世界はもっと眩しく刺激的で、疲労を誘うものだと思っていたのに、これには拍子抜けだった。そればかりか、一人であちこち歩けるようになると、ふ、と、得も言われぬ寂しさがこみ上げることすらある。
(これは、一体どういうことだろうか)
 寂寥なら、一人で社に篭っている時の方が強いはず。この街の人たちは、皆、カゲツを見かけると声を掛けてくれる。カゲツも、自分から挨拶をしたりする。その甲斐あってか顔見知りも随分増えたのに、どうも物足りない感覚が残る。
 理由が判ったのはしばらく経ってから。
「カゲツ!」
 遥か前の方から、元気のよいアキトの声がした。かと思えば、次の瞬間には走り寄ってきて、カゲツの前で改めてぶんぶんと手を振る。
「お散歩?山以外でカゲツに会えるなんて、嬉しいな!」
 瞬間、気付いたのだ。社であれ街であれ、ただ彼とふたりであるからこそ、満たされていたのだ、と。

9/1/2025, 1:20:19 AM