——やっぱり来てくれないか。
シティホテルのロビー。
整然と整えられた庭が臨める窓際の席はうっすらと冷気が伝わってくる。
仕事に忙殺され、彼女に勧められて購入した推理小説を半年以上ぶりに引っ張りだして広げていたが、内容はまったく頭に入っていなかった。
——大事な話があるの。
今夜もしくは明日、何時になっても構わないから、折り返しの電話を下さい。
一ヶ月前に聞いた、録音電話に吹き込まれた彼女の声はとても静かだった。
頭の奥で、警笛が鳴り響くほどに。
慌てて、メッセージを送った。
『本当にゴメン! 来月は必ず休みを取るから心配しないで。俺も報告したいことがあるんだ』
昇進が近いこと、すなわち幹部ポスト前の支社異動が迫っていること——などを、続けて送る。
そして暗に、着いてきて欲しいという望みを匂わせる。
一ヶ月後は十二月、それもクリスマス・イブだ。
この最高のイベント日に落とし込めば、何もかも『チャラ』に出来るだろう、と思っていた。
メッセージの既読マークがついてから一週間、彼女からは何のリアクションもなかった。
正確には、何のリアクションもないことに不安が過り、メッセージアプリを開いたのが一週間後だった。
メッセージは、届いていた。
『報告を聞きたいわけじゃなかったの。もう、いいよ』
愕然として。
早急にメッセージを送る。数時間経っても既読にならず、通話しても応答はなかった。
……切られた。
当然か、と冷静に思う一方。
なぜわかってくれない、それなりの付き合いだったはずなのに、という怒りめいた感情が渦巻く。
心中がどれほどグチャグチャになろうと、朝になり職場に行けば通常通りに仕事はこなす。
いつも通りでいなくては、という矜持が仮面と鎧を生み出し、普段以上の普通、を演出していたかもしれない。
ホテルのレストランの予約は、半年前から入れていた。
当日になれば、もしかしたら。
彼女の性格から、それはないとわかっていたけれど、キャンセルをかけることは出来なかった。
……結局、こんなものか。
席を立ち、フロントで淡々とキャンセルを告げる。
事務的に進む手続きに、どうせフラれるならドラマチックに、などと考えていたのだなと思い知らされる。
深い悲しみも、同情もなかった。
あるのはただ——虚しさだけ。
フラフラと、散策するように街を進む。
どこもかしこも人だらけ。
カップル、友人、グループ。
楽しそうに歩く人達だけではなく、少し前の自分と同じように眉間に皺を寄せた仕事人間と思しき人達も。
色んな人がいるな、とぼんやり思っていたその時、壁のようなものにぶつかった。
「うっ……!」
「ちょっ! 痛いじゃない!!」
古ビルの極小エントランスから現れたらしい人物が頭上に怒声を降らせてきた。
ショッキングピンクの長い髪。
派手の定義を超えた、目立つためのメイク。
思わず、喉の奥でヒッと息が詰まった。
「ご、ごめんなさい……」
ギロリと睨まれ、謝罪がこぼれ落ちた。
「気をつけてよね!!」
カッと高くヒールを鳴らして去っていく逞しい背中を呆然と眺めるうち。
なぜだか、涙もこぼれ落ちていた。
——ああ、謝れたんだな。
こんな風に、ただ素直に謝れば良かったのかもしれない。
今更のように思いながら。
幼い子供のようにすすり泣きをしながら、駅へと向かった。
だって、明日も仕事があるから。
12/25/2023, 9:59:38 AM