『捕まった。逃げろ』
夕刻前。合わせたアラームより早く僕の目を覚ましたのは一件の新着メッセージだった。
がばりと起きてポップアップをタッチする。開いたトーク画面に出るのは通知と同じ文面で、それ以上も以下の情報もない。
「あちゃー。いつも用心深いのに、珍しいこともあるもんだ」
しかも「逃げろ」だなんて穏やかじゃない。
確か彼が今請け負っているのは浮気絡みの素行調査だったはず。ということは、藪をつついて蛇が出たか。
「まったく忙しない。厄介事を引き寄せる天才だね、彼は」
強面な上に口は悪い。本人はドライに淡々と仕事をこなしているつもりなのだろうが、そんな振りでは騙されない。面倒見が良く放っておけない性格なのは、共に仕事をこなし、一緒に生活している内にすぐに分かった。
だいたい、吸血鬼と承知の上で僕を相棒 兼下宿人として認めているのだ。とんだお人好しで間違いないさ。
こちらだって伊達に長生きしていない。人の世に紛れて生きるため、人間観察はお手の物だ。
「さーて藪から出たのは何かな~」
お気に入りのふかふかソファーから立ち上がって体を伸ばす。それを見計らったかのように、スマホのアラームが鳴り響いた。日没を知らせるアラームだ。
「おっタイミング良いじゃ~ん」
拉致されたのは不運だが、夕方に捕まるとは都合が良い。
これが昼間だったならば、僕に出来ることは限られてしまうけれど、幸いにも日は落ちた。
彼が用意した分厚い遮光カーテンを開け放ってベランダに出れば、眼下には明かりが灯り出した薄暗い街が広がっていた。
彼の伝言の通りなら、この事務所の場所も割れているのだろう。捕まった彼を探すとなれば、尚のこと長居は無用だ。
「緊急事態だし、仕方ないよね~」
仕舞い込んでいた羽を悠々と広げ、星が瞬き出した夜空にふわりと飛び立った。
いつもなら、「飛ぶな」「目立つな」と彼に喧しく怒られるところであるが、今はその声もない。
「あーあ。逃げろだなんて、何言ってるんだか。そんな薄情に思われてるのかな、僕」
うっかりヘマをした彼を見捨てるくらい、悠久の時を過ごしてきた僕にとっては些細なこと。そういうこともあったよね、と思い出せるかも怪しいくらいに一瞬の出来事だ。
されど、お人好しなのはお互い様。僕の方が年寄りな分、筋金入りで年季も入っている。
何せそのせいで一族に見放されたのだ。まったく、なめてもらっては困るな。
「助けに行くに決まってるじゃん」
上空を大きく旋回し探りを入れる。そうして見付けた彼の気配がする方へ、くるりと向きを変えて羽ばたいた。
夕日も沈み、暗くなれば僕の世界。
さあ、久しぶりに暴れさせてもらおうか。
「待っててね。僕の大事な大家さん」
(2024/04/07 title:022 沈む夕日)
4/8/2024, 9:59:16 AM