K作

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題 楽園

「ン"フフフフ⋯⋯ ウップ、ンフ⋯⋯ ゲホゲホ」
少年Vは笑った。雨降る歌舞伎町、路地裏にヤンキー座りでしゃがみこみ、アルコールを一気飲みして咳き込んでいた。店の裏でもあるため、背中越しに爆音の(と言ってもどこか遠くから)テクノやら女の甲高い声やらが聞こえてくる。
飲み干したジョッキには雨がぼちゃぼちゃと満たされていった。Vは頭をガシガシかきながらそれを見つめて、
「ン"フフフフフフフ」
と、やはり笑った。
ガチャり、と音がしたかと思うと、店の後輩が、裏口の扉を半分開けてこちらを覗いていた。
「蛍サァン、地雷チャン3号が早く来いって怒ってますよォ」
「⋯⋯ 行きたくない、怒ると怖いんだもんあの子」
「ダメですよォ、仕事なんですから。No.1でもお客さんほっといちゃダメデース」
「わァ」
Vの脇を持ち上げた後輩は、彼の左手に握られているジョッキに気がついた。呆れて、またですかァ、と。
「また店のお酒勝手に開けたんですかァ、いい加減にしないとクビにされますよォ」
「へへへ、そうかもね」
後輩はピクっとまぶたを震わせた。こういう時、V(源氏名:蛍)はいつも、「俺、オーナー直々の顔採用だから、これくらいなら大丈夫だよ」と、余裕で微笑んでいたのに。
Vの声は少し掠れていたし、目元も赤くなっていた。後輩は、この先輩にも泣きたくなるようなことがあるのか、と少し感心して、そしてどうしていいか分からなくなった。
しかし、全て後輩の勘違いである。声が枯れたのは強いアルコールを飲んだからであり、泣いたのは咳き込んだ時に出た生理的なアレである。後輩は、長い間Vの後輩であったが、Vの多くを理解している、と勘違いしているのだ。Vは全くもって、全てを隠していた。
「もう少ししたらきっと行くからさ、シャワー浴びてるとでも言っておいて。ね。」
「⋯⋯ 」
Vはわざと微笑んだ。それが、人の目には哀しい男に見えると、理解していたからだ。思った通り、後輩はコクンと首を振って戻っていった。
Vは灰色のビルに切り取られた、灰色の空を眺めて、
「ン"ッフ、フフフフ⋯⋯ 」
と笑った。
Vは愉快だった。だって、今日、この楽園から解放されるのだから⋯⋯ 。

Vは許された存在だ。
8年前、地元の怖い先輩に脅されたVは、仕方なしに隣町にある老舗時計店で強盗をした。物を盗む罪悪よりも、殴られる方が嫌だったからだ。V自身、もし警察に見つかっても、「脅されて仕方なかったんだ⋯⋯ 本当はこんなこと⋯⋯ 」 と、泣けばどうにかなると思っていた。
と、言うことで、Vは時計店のガラスドアを先輩から渡されたハンマーで割った。腕だけ侵入して中からかけられている鍵を解除し、今度は普通にドアを開けて侵入した。小さく「オジャマシマース⋯⋯(笑)」 なんて言ってみながら⋯⋯ 。
ことは順調に進んでいた。ショーケースもハンマーで割り、これまた先輩から渡された紺色のリュックに時計を流し込んだ。Vはこれまで感じたことの無い興奮を感じていた。さっきまで冗談のつもりだったイタズラが、いよいよ本気じみてきたからである。もう少しいけるんじゃないか⋯⋯ と指示されていないレジの金も盗もうと、ハンマーを振り上げ──────
「ゥオア"アアアア!!」
Vはモノスゴイ勢いで何かにぶん殴られて倒れた。散らばった木片が、それは古びた椅子だと教えてくれた。
Vを殴ったのは時計店の店主であるジジィだった。ジジィは店舗の立ち並ぶこの辺りには珍しく、店の裏に住んでいたので、ガシャンガシャンとガラスの割れる音を聞いてすっ飛んできたのである。
ハァハァ息を切らすジジィの足元、Vは脳震盪を起こして目はグルグルし、腕や足はピクピクしていた。殺してしまったかしら──さっきまで怒っていたのに、途端に冷や汗が吹き出たジジィは、恐る恐るVの顔を覗き込んだ。Vが息をしているのを知り、ホッとして、しかしまた怒りに満ち、こいつにはお縄に着いてもらわにゃならん、と固定電話を取り──────
「ゴッ」
目玉が飛び出そうな衝撃だった(否、ジジィが知らないだけで、警察が到着した時には飛び出ていた)。Vはひたすらハンマーを振り下ろしていた。歯を食いしばり、しかし目だけは一切のシワを寄せず、無言でジジィを殴っていた。つまりは頭に血が上っていたのだ。
やっと手を止めたVは、ハッ、ハッと息をしながら7秒ジジィを見つめた。そして吐いた。血溜まりのカビ臭い床の上、もう何が何だか分からないまま、Vは白目を向いた。

「判決、被告人を少年院でぶっ殺せ」
Vは真顔で己の身の振りを聞かされた。最も、裁判長のお言葉はもっと厳格で、規則に則ったものであるはずなのだが、Vには本気でそう聞こえたのだ。
少年院には6ヶ月いた。本当は1年だったのだが、Vは相当大人しくしていたので期間が短縮されたのだ。そこでも怖い先輩はいたが、もう殴られたって怖くはなかったし、何か別の喜びがじわじわ心を満たしていた。
「いいなぁ、お前もうすぐ釈放だろ?シャバは楽園だよな、好きな物買えるし、彼女作れるし、行きたいとこ行けるし、」
「アァ、そうだな」
少年院から解放される数日前、新しく入ってきた同い年の男に言われた。Vは心ここに在らずという感じで、得体の知れない不安を感じていた。
Vに迎えは来なかった、元々親子関係は破綻していたので。歩いて家まで帰ったのだが、マンションには入れなかった。これにはちょっと驚いた。だって、Vは追い出されたのではなく、親の方が逃げたのだから。Vはなんだか笑えてきて、
「ン"フ⋯⋯ フ、フフフフフフフ」
と歩いた。
生き延びるのは簡単だった。Vが夜の店が立ち並ぶ場所に小さくうずくまっていれば、誰かしらが拾ってくれるからだ。Vはこの頃、自分の顔がいいことに気がついた(後に気づくことだが、夜の人々がVを拾うのは、彼に普通とは思えない可哀想なオーラがあったからである。最も、それを得たのは罪を犯したからであるが⋯⋯ )。
しかし生きるのは大変だった。Vを拾う人間はみな、彼を「可哀想に、可哀想に」とよしよしするだけなのだ。たとえ、「おれ、人を殺したんだ」と、言っても、家出少年の戯言だと思われ、また、「可哀想に」と、慰められた。
Vは、救いを求めていたのだ。これなら少年院で先輩に殴られていた方が良かった。
シャバは地獄だった。
Vは、許されてしまった。誰も、Vを殴ってはくれなかった。

次にVを拾ったのは、ホステスを経営する男だった。男はVのただならぬオーラを気に入り、半ば無理やりホストに勧誘した。最初こそ、何の期待も持たなかったVだが、とあることをきっかけにここ(ホステス)を気に入るようになった。
美しいと自負している男というのは、自分よりも美しい男が現れると腹が立つらしい。新人のVは、ハンサムな男や、クールな男から、(見えない所を)殴られ蹴られ、Vはそれを喜んだ。罰を与えてくれる、ホストというのは神様だ、と。
しかしそれも一瞬のことで、オーナーから指導(具体的には、「その変な笑い方をやめろ、柔らかく笑えるよになれ」と、言われた)を受けたVは、持ち前の顔と鍛えられたオーラをもってNo.1となってしまった。Vの神様を殺したのはV自身だった。
Vは、もうダメだった。もうこの世に自分を罰してくれる者はいないのだと悟った。
別にいつでも良かったのだが、何となく雨の降る日が良かった。店の見慣れたジョッキに、倉庫に保管してあるガソリンをいっぱいまでそそいで、裏口から外へ出た。ヤンキー座りでしゃがんで、片手に持ったそれを、一気に飲み干した。
「ン"フフフフ⋯⋯ ウップ、ンフ⋯⋯ ゲホゲホ」


5/1/2023, 1:16:15 PM