結城斗永

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「私って本当に意気地なし……」
 駆けるようにして校門の外に出た途端、我慢していたため息がふっと漏れた。 
 想いを寄せるマサトに、今日こそは言おうと決めていた『第二ボタンをください』の一言を、とうとう私は口に出すことができなかった。

 初めて会った一年生のあの日から、彼のことが気になって仕方がなかった。でも、彼の周りにはいつも女の子が集まっていて、気づけばほとんど話すこともなく今日まで来てしまった。
 
 卒業式が最後のチャンス。ここで声をかけられなければ、もう一生言葉をかわすこともないかもしれない。そんなのは嫌だった。

 何日も前から、シミュレーションをして、鏡に向かって発声練習もした。式が終わって彼のもとに向かう途中も、言うべき言葉を心の中で何度も繰り返した。

 でも、私が声をかけようとしたときには、すでにいつもの女子たちがマサトを取り囲んでいた。チラリと見えた彼の胸元にボタンがないのを見つけて、気づいたら、彼に背を向けていた。
 
 こんなはずじゃなかったのに。
 突きつけられた現実から一刻も早く逃げ出したくて、彼から離れるように踏み出した一歩が、歩数を重ねるごとに速くなる。
 
 どうして、あんなに練習したじゃない。 
 ボタンはもらえなくても、想いだけは伝えるべきだった? でも、もう遅い。私は逃げた。
 バカ、バカ、バカ……。私のバカ……。
 悔しくて、自分の心に何度も拳をぶつけた。

 校門の外でふっと息が漏れた瞬間、心の堤防が一気に崩れ去る。涙が漏れないようにぐっと目をつむっても、溜め込まれて圧力を増した涙は止めどなく溢れて流れていく。
 その場にしゃがみ込んでしばらく泣いた。制服の袖が涙でびしょびしょになるくらい……泣いた。

 ――ミサキ――さん。
 マサトが私を呼ぶ声。
 とうとう幻聴まで聞こえてきたみたい。
「ミサキさん?」
 さっきより輪郭がはっきりした声に顔を上げると、そこには両手からこぼれそうなほどの花束を抱えたマサトがいた。
 マサトは私の顔を心配そうに見つめると、すっと私の隣にしゃがみ込んで、抱えていた花束をひとつ差し出す。
「ちょっと持ってて」
 半ば強引に突きつけられた花束を無意識に受け取ると、マサトの空いた左手は制服のポケットに滑り込んでいく。
「これ……、受け取ってくれる?」
 目の前で開かれたマサトの手のひらには、鈍い黄金色に光る制服のボタンがあった。
「えっ、これって……」
 思わずマサトの顔に目を向けると、彼はまっすぐ私を見つめていた。目が合った瞬間、彼は少し目を伏せて小さく咳払いをする。
「明日からも一緒にいてほしい」
 マサトの言葉で頭が真っ白になる。すべての言葉を忘れてしまったように言葉が出ない。
「ずっと言い出せなかった。一年生の時、初めて君を見かけた日から、いつか言わなきゃって思ってた」
 私は差し出された彼の手にそっと自分の手を重ねる。
「……私も」
 ようやく口から出た一言が震えていた。それを聞いてマサトがホッとしたように笑みを浮かべる。
 マサトが私の手を握る。私も彼に笑みを返す。第二ボタンの冷たい感触を溶かしていくような彼の手のひらの温度に、私の心もじんわりと温かくなっていた。

#言い出せなかった「」

9/4/2025, 12:07:43 PM