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141.『小さな命』『物憂げな空』『君は今』



 建物の外に出ると、空はどんよりと曇っていた。
 厚い雲は太陽の光を遮り、今にも降り出しそうな気配がある。

 こんな物憂げな空は嫌いだ。
 こういう日に限って、碌なことが起きない。

 『気にし過ぎだ』と、笑う奴もいるだろう。
 たしかに天気と今日の運勢には何の因果関係などない。
 だが、長年の探偵としてのカンが、この後惨劇が起こることを告げていた……

 そんな暗鬱な気持ちで事務所の扉を開けると、『ああ、やはりな』と思った。
 そこにいたのは、事務所で報告書を書いていたはずの助手。
 だが彼女はペンではなく、小さな猫を抱いている。
 その瞬間、俺の頭脳は高速で動き始めた。

「ダメだ!」
 助手の発言を待たずに、俺は叫んだ。
 突然の大声に怯んだのか目を逸らしたが、すぐに目線を戻す。
 その瞳には、強い決意が宿っていた。

「この子を事務所で飼いましょう」
「ダメだ」
 二度目の拒否。
 しかし助手は怯まない

「先生、この子を見て何も思わないんですか?
 この子、捨てられて悲しそうに泣いていたんですよ」
「ダメだと言っている。
 飼いたいなら、お前のアパートで飼えばいい。 
 それなら俺も文句を言わん」
「残念ながら、私のアパートはペット禁止です」
「さらに残念なお知らせだ。
 この事務所もペット禁止。
 大家の爺さんが決めたことだ」

 俺はこの事務所の主である。
 ここでは、俺は王として振舞うことができ、何人たりとも逆らうことは出来ない。
 唯一の国民である助手は、それなりの頻度で逆らうが許している。
 そんなことで目くじらを立てるほど、俺の器は小さくないのだ。

 だが絶対の権力を持つ王も、その上の存在――神たる大家には逆らう事は出来ない。
 だから機嫌を損ねないよう、いつも下手に出ている。
 奴らの気分一つで、俺の国が滅んでも不思議ではないからだ。
 世の中は不条理で満ちている。

 だがそんな残酷な事実にも、助手は怖気づいた様子がない。
 それどころか、助手はニンマリと意地の悪い笑みを浮かべた。

「その件なら大丈夫です。
 大家さん、説得しましたから」
「はあ、そんなわけねえよ。
 あの爺さん、大の動物嫌いだぜ!」
「そうなんですか?
 普通に聞いたら許可くれましたよ」
「あのクソジジイが!」

 大家は今年で、御年80になるご老人である。
 昔はヤンチャをしていたと聞いていたが、歳を取って最近はすっかり若者に甘くなった。
 なんでも若い頃稼いだお金で、夢を追う若者たちを支援しているそうだ。

 その中でも助手は特に気に入られており、孫の様に可愛がられている。
 どんな頑固爺も、可愛い孫のお願いは簡単に聞き入れてしまうのだ。

 なお、実は俺も助手と同い年なのだが、可愛がられるどころか会う度に説教される。
 世の中は不条理で満ちている。

「許可取ってもダメだ」
「なぜです?」
「理由は二つある。
 まず第一に、ハードボイルドに猫は似合わない」
「そうでしょうか?
 猫ってクールですし、相性がいいと思いますが……
 もう一つの理由は?」
「第二に金がない」
「それが全ての理由ですよね……」
 そう言って、助手はがっくりと肩を落とした。

 我が探偵事務所は、零細である。
 助手に払う給料に困るほど困窮はしていないが、十分な貯えがあるわけではなく、それゆえに猫を飼う余裕はどこにもない。
 事務及び経理も担当している助手は、そのことを身を持って痛感していた。
 痛いところを突かれたのか、助手は「うー」と唸りながら天を仰ぐ。

「分かりました。
 お金を半分出すので、飼う許可を下さい。
 さっきも言いましたけど、うちのアパートはペット禁止なのですよ」
「何が分かったんだよ。
 こっちが半分金を出す理由は無いだろ……」
「普通に私も苦しいからです。
 それに、どうせ先生も可愛がることになりますから」
「ならねえよ。
 お前がソシャゲの課金を抑えればいいだけだろうが!」
 相変わらず傍若無人の助手を見て、俺は大きくため息をついた。

「まあ、いいだろう。
 半分出してやるよ。
 拾った猫を捨てさせるのも後味が悪いしな」
「……先生、もしかして本当は猫飼いたかったんですか?」
「なんでそうなる……
 福利厚生というやつだよ。
 助手にはいつも世話になっているからな」
「素直じゃないんですから」
「……そっちが全額出してもいいんだぞ?」
「はいはい、そう言うことにしておきましょう。
 ……あ、少し出かけますね」
 そう言って、助手は事務所の入り口へと向かう。

「何か用事があるのか?」
「ホームセンターです。
 トイレとか買わないといけませんから」
「ああ、それもそうか」
「じゃあね、寅吉。
 すぐ帰るから大人しくしておくんだよ」
 そして、俺の方をチラッと見て、
「あのおじさんが、ちゃんと仕事してるか見ててね」
「おい、待て!」
 だが、最後まで言う前に、助手は出て行ってしまった。

「まったく!
 アイツは雇用主に対する敬意と言うものがないのか?」
 窓からホームセンターに歩いていく助手を見ながら呟く。
 日に日に助手の、俺に対する態度が悪くなっている気がする。
 立場を分からせるために、一度給料を下げてやろうか?

 俺は小さくなっていく助手の姿を見て、段々と腹が立って――くることはなく、逆に口角が上がってくるのだった。

「どうやら助手は最後まで気づかなかったようだな」
 助手の推理通り、俺は本当は猫が飼いたかった。
 だがこの事務所は、大家の意向によりペット禁止。
 飼うことを諦めていた……

 だが、助手と大家が仲良く話している場面を見て、天啓が降りた。

 王は神に逆らえない。
 神は絶対だからだ。
 だが唯一、神が唯一心を動かす存在がいる。
 それは巫女だ!

 我が探偵事務所には、神が寵愛する巫女――もとい助手がいる。
 孫の様に可愛がっている助手からのお願いは、あの頑固爺でも断れないのではないか?
 その仮説を証明するために、俺は一計を案じることにした。

 まず『迷い猫捜索』の仕事を優先的に取るようにした。
 猫との接触を増やせば、自ずと猫が飼いたくなると考えたからだ。
 ソースは俺。

 そして事務所のあちこちにに、猫モチーフの小物をさりげなく設置した。
 サブリミナル効果によって、助手の深層心理に働きかけ、より猫を愛でたい欲を促進させる。

 そうすれば、あの堪え性のない助手のことだ。
 内から溢れる感情を抑えきれず、どこかで猫を拾ってくるだろうと踏んだ。
 そこで、俺が『渋々』許可すれば、事務所で猫も飼えるばかりか、助手に恩を売ることができる。
 完璧な作戦だった。

 はてして作戦は成功し、猫はここにいる。
 世話代も半分になったし、助手に感謝しかない。
 欲を言えば名前もつけたかったが、それくらいの対価は安いものだ。

「おっと、こうしてはいられない」
 助手が帰ってくる前に、寅吉と親密を深めておこう。
 啖呵を切った手前、初日からデレデレな姿を見せては、さすがに怪しまれてしまう。
 なので、ほん数分、短い間だけ寅吉と遊ぶことにした。

「おいで、寅吉。
 抱っこしてあげよう」
 大人しい性格なのか、寅吉はおとなしく抱きかかえられた。
 寅吉の大きな瞳が、俺を捉える。

「おおお、かわええ〜〜」
 触れればつぶれてしまいそうな、小さな命。
 天使のような純粋な姿に、俺の邪念が霧散していく。

 やはり猫は良い。
 これで、俺の探偵人生も、少し彩り豊かになるだろう。
 うっとりした心地で眺めていると、寅吉が唐突に「ニャー」と鳴いた。

「なんだい、寅吉。
 君は今、なんて言ったんだい」
 俺は、自分でも驚くほど柔和な声で、寅吉に語りかけた。
「え?
 『探偵さん、ハードボイルドでカッコいい』?
 やだなあ、そんな当たり前の事実を言われても困るよ――」
 ガタっと、後ろの方で物音がした。
 嫌な予感がした。
 恐る恐る振り向くと、涙を流しながら笑いを堪えている助手の姿があった。

「お、お前!
 ホームセンターに行ったはずでは!?」
「財布、ひひ、忘れて、ふふふ」
 息も絶え絶えにしゃべる助手。
 だがついに我慢しきれなかったのか、その場に崩れ落ち腹を抱えて笑い始めた。
「『君』、『君』って、そんなキャラじゃないのに!
 あひゃひゃひゃひゃひゃ」



 ――結局、トイレは俺が買いに行く羽目になった。
 助手の笑いが止まらず、使いものにならないからだ。
 まともな意思疎通が出来ないので何も言われていないが、今回弱みを握った助手は、俺に対してさらなる舐めた態度をとるだろう。
「はあ、憂鬱だ……」
 物憂げな空は嫌いだ。
 そういう日に限って、碌なことが起きない。

 そして、悲惨な未来を暗示するかのように、天気予報はしばらく曇天が続くと告げていた。

3/5/2026, 9:54:14 AM