秋茜

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愛 - 恋 = ? ※ホラー描写注意

放課後の図書室。
校内には、先ほどから帰宅を促すアナウンスが流れはじめ、ほとんどの生徒はもう下校し始めている。
今、この場所には、私ひとりしかいない。
夕刻の茜と夜の紫の狭間の色が部屋を染め、ときおり冷たい秋風が静かに窓から吹き込んでくる。
まるで、絵画の中に迷いこんだような、非現実的な光景に侵食されていく。この瞬間が、この時間が何よりも心地いい。
――この場所が、私は一番好きだ。
図書室の中を、あてもなく歩き回る。
ふと、なんとなく目に止まった本を手に取ると、裏に妙な落書きが書かれているのを見つけた。
「……なんだろう、 これ」
――日常の景色が、非日常に変わる瞬間がある。そして時折、非日常が、一足わずかの境界線を越え、好奇心という餌を撒いてこちらを見つめてくる時がある。
私は、それらを見つけるたび、浮遊するような甘美な感覚にしびれ、静かな感動に浸る。生きている実感を得られるのだ。
今が、まさにその時だった。
私は、撒かれた餌に食いつく事を選んだ。

大抵、そうした選択は良いことを招かない。古い教えにも、そう言われているが。
知ったことか。好奇心を原動力に、私はその先へと踏み込んだ。
「愛 - 恋 = ?」
厚くかぶさったほこりを指でなぞり取り、一文字づつ確かめるように声に出す。
所々、黒ずんだ染みの目立つ、分厚い本。
何かで張り付いているのか、本はぴくりとも開かなかった。
「方程式……。 謎かけ、かな?」
大抵、こうしたものは、蓋を開ければ何のことはない。例えば、「卒業した女学生とかが、憧れのセンパイに残した子供の遊びの名残」だとか。そんな程度のものだろう。これが、そんな安っぽい恋愛小説から引っ張ってきた冗談などではないことに期待しながら、思考を巡らせる。
……足して「恋愛」と読め、とでもいうのなら、陳腐にも程がある。しかし、引けと書いてあるのは、いい具合に不可思議だ。
「愛から、恋を引く。 か」
愛が成就の先なら、恋は大抵の場合において片想いをさす言葉だ。片想い……。
「愛の中から、恋を、片想いを引く?」
日本語の体をなしていないが……。こういう類いのものは、常識から離れて、まずは出鱈目にカードを並べていくほうが答えに近づきやすいはずだ。更に、思考を続けていく。
「愛は双方向で、恋は片想い」
逆に言えば、ふたつの恋が結ばれて形をなし、様々な形の愛に成る。
なら、その愛から恋がひとつ引かれれば、残った愛はどうなる?
私は、論理を一旦棚に上げ、直感に委ねて答えを探す。
「愛は、片割れを失えば……」
愛は二人で成立する。なら、恋は、もうひとりの誰かのメタファー?
とすれば、この方程式で引かれたのは、愛を作っていたもうひとりの「大切な誰か」。
少し、想像と違う不穏な流れに、嫌な予感がよぎる。しかし、ここまで来て引き返せる訳もない。
私は、もう少しで捕まえられそうな答えを手繰り寄せるため、再び思考の海に両手を突っ込んだ。

「大切な存在がかけた愛は、いつしか悲しみで傷痕から腐り出し……」
癒えない傷は、愛を殺し。殺された愛はいつしか……。
いつしか、愛は……「呪い」に変わる?

「っ!」
自分の脳裏に浮かんだ答えに強烈な寒気を覚え、思わず本を放り投げる。
はっと我に返れば、幻想的な絵画のようだった図書室の中は、いつの間にか真夜の黒に潰され、天井に並んだ不規則に明滅する古い蛍光灯の明かりだけが手元を照らす、死んだ空間へと変わっていた。
そう、全ては私の妄想で、答えがあっている確証など、ない。
けれど……。明らかに部屋の空気は変わり、心が、本能が警告を鳴らし続けている。
――私は、なにか見つけてはいけない得体の知れないものに触れてしまったのだろうか?
冗談じゃない。好奇心ごっこは終わりだ。猫と一緒に殺されてはたまったものではない。私は、真っ直ぐに図書室の出口へ走った。
「みつけてくれてありがとう」
刹那、氷のような風が足元から吹き抜けていく。生気のない女の声が、すぐ後ろから聞こえた。足が、動かない。振り返ることはおろか、指一本すら動かせなかった。
冷や汗が、絶え間なく頬を伝う。
愛は、大切な「恋」を引きさかれ、その悲しみは傷になり、傷は愛を殺し。
――そして、愛を呪いに変えた。
そして、その呪いは、誰かに見つけてもらえるその日まで、ここで眠っていた。
「あ、な……た、は……」
絞り出した声は、蚊のなくように細く、もはや息がひゅうとぬけるばかりだった。
冷たい指が、ゆっくりと私の首をなぞる。

あなたは、ずっといっしょ、だよね。

――誰もいない図書室には、空いた窓から時折冷たい夜風が吹き込み、重いカーテンをゆっくりとゆらしていた。
床に落ちた本が、ぱらぱらと風にめくれていく。
本の最後のページには、仲むつまじそうに寄り添う二人が描かれていた。

10/15/2025, 2:11:53 PM