sairo

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部屋の隅で一人、膝を抱えて蹲っていた。
どれだけ時間が過ぎたのか。辺りはすっかり暗くなり、暖房を入れていない部屋は息を吐けば白く曇るほど冷えきってしまっていた。
それでも動く気にはならない。昼間見た光景が、言われた言葉が頭から離れない。

大切な幼馴染だった。
いつも見ているだけの自分の手を引いて、皆の輪の中へと連れて行ってくれるような、そんな優しい人。いつも笑顔で助けてくれる、自慢の幼馴染だった。
きつく唇を噛みしめる。強く目を閉じて、込み上げる涙が溢れないように必死に耐えた。
幼馴染の、冷たい笑みが忘れられない。吐き捨てられた言葉を思い出すだけで、胸が苦しくて息が出来なくなってしまう。
まだ、直接言われないだけ、良かったのだろう。あの目で、あの言葉を言われたら、きっとその場から動けずに泣くことしかできなかった。

膝を抱いて、身を縮める。
今は何も信じられそうにない。
見せかけだけの優しさ。その裏の欺瞞が怖くて堪らなかった。



「ひどいことだ。本当にひどい。あんな言葉を皆の前で言って笑い者にするなんて、思わなかった」

聞こえた声に、小さく肩を竦ませる。
反射的に何かを言う前に、大きな手に頭を撫でられた。

「嘘だらけの人間のことは、早く忘れてしまえ。お前には、他にも大切にしてくれる人間がいるだろう?」

強く厳しさが滲む声に、恐る恐る目を開けた。
暗がりに大きな影が見える。恐ろしくはない。逆に安心できるその姿。

「でも……」

忘れろ、という言葉に、視線が揺れる。優しかった幼馴染を思い出して、本当に忘れていいのか迷ってしまう。
何か原因があったのではないだろうか。自分が幼馴染を怒らせて、それであんなことを言ったのではないだろうか。
もしかしたらの期待が迷わせる。けれど影は容赦なくその願いを否定した。

「上辺だけの優しさに縋ろうとするんじゃない。それでまた、お前が悲しい思いをするのは嫌だぞ」

ぐしゃぐしゃと、髪をかき混ぜられて俯いた。
忘れられない。忘れるのが怖い。浮かぶいくつもの思い出に、手を伸ばしたくなってしまう。
きつく手を握りしめた。それでも幼馴染がくれた優しさが消えてくれることはない。

「困ったな」

小さく息を吐く音がした。
怒らせてしまっただろうか。暗くて表情が見えないのが怖い。
頭を撫でる手が離れていく。思わず手を伸ばし、離れていく手に縋りついた。

「心配するな、どこにも行かない。ずっと一緒にいると言っただろう?」

忘れてはいない。でも今は、何もかもが嘘に思えてしまう。

「お前が傷つくのを我らは望まない。だから忘れられるまで、お前が与えられてきた以上の優しい夢を見せてやろう」

するりと、背後から腕が伸びてきた。
細くしなやかな、二本の腕。抱きしめられて、段々と意識がぼんやりとし始める。

「一度全てを忘れて、安全な箱庭で心穏やかに過ごすといい。いずれあれ以外で、お前を大切に思う者が迎えにきてくれることだろう」

包まれる温もりに、瞼が重く閉じていく。苦しかった気持ちが解けて、空になっていく。

「ごめんなさい。迷惑をかけて……」
「気にすることではない。子を護るのが我らの役目だ。お前は何も気にせず、笑っていろ」

厳しく、温かい言葉。その声すら端から解けていく。

「ありがとう」

忘れてしまうことを惜しく思いながら、深く夢の中へと沈んでいった。





「おはよう!」

見慣れた背に、少年は声をかけた。

いつもとは違う朝。幼馴染の少女を迎えに家に行くと、彼女はすでに家を出た後だった。
慌てて追いかけ、歩いていく少女を見かけて声をかけるも返事はない。

「どうしたんだよ、今日は。一人で学校に行くなんてさ」

嫌な予感に気づかない振りをして、少年は努めて明るい声を出した。
気のせいだ。何か理由があるのだろう。また悩み事を一人で抱え込んでいるのかもしれない。
いくつもの理由を並べ立てるも、少年の頭の中では、 昨日走り去っていく少女の小さな背が消えない。
振り返らない少女に、嫌な予感が強くなる。気のせいであれと願いを込めて肩に手を伸ばすが、その前に振り返る少女の目を見て息を呑んだ。
何の感情も浮かばない目。金に煌めく色彩に、少年は理解する。

「守り神?何で……」

この街は古い家が多く、それぞれの家には守り神がいる。少女や少年の家もそうだ。
その守り神が少女の中にいる。昨日見た、走り去る少女の背は見間違いではなかったのだ。
顔を青ざめさせて震える少年を一瞥し、少女は何も言わずに去っていく。それを呆然と見つめていれば、少年の影が小さく揺らいだ。

「あの時、警告はしました。恥ずかしいからとは言え、心にもないことを口にすることはよくないと」
「だって……聞かれなければ大丈夫だって思ったんだ」

影の言葉に、少年は俯いた。
昨日。友人たちに、少女のことについて揶揄われた。いつも一緒に登下校をしていること。手を繋いでいたこと。恋愛感情について。
その時は酷く恥ずかしく思えて、友人たちの言葉に思ってもいないことを返していた。
少女が付き纏うから、仕方なく相手をしている。本当は迷惑しているが、家のために我慢をしなければならない。だから少女のことは好きではなく、むしろ嫌いだった。
その場限りの言葉だと思っていた。聞かれていなければ、今までと変わらずに過ごすことができる。そう信じていたからこそ、自身の守り神の言葉に耳を貸さなかったのだ。

「諦めなさい。あの娘が戻ってきたとして、二度と元の関係には戻れないでしょう」
「そんな……」
「ああして、守り神が出てきているのです。それほどの苦しみがあったのでしょう。貴方にできることは、この先あの娘に関わらず過ごすことだけです」

そんなことはないと否定しかけた言葉を形にさせぬかのように、影は容赦なく事実を告げる。
分かっていたことだ。だが認めてしまうことは、少年にはできなかった。
遠ざかる少女に、誰かが話しかけているのが見えた。彼女の親友だろう。頷き、少女の隣を歩くその姿が羨ましい。

「大丈夫だって、思ってたんだ」

聞かれなければ大丈夫。ちゃんと話せば大丈夫。
そんな甘い考えを含んだ言葉に、影は何も返さない。少年も答えを求めてはいなかった。
それは結局、少女の優しさに甘えた考えだ。彼女の気持ちを無視した、最低な考えだった。

「馬鹿だなぁ」

呟いて、一人笑う。
滲み出す世界が少女の笑顔を消してしまうようで、少年は立ち尽くしたまま必死に涙を堪えていた。



20260127 『優しさ』

1/29/2026, 1:34:47 AM