薄墨

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リボンを解く。包装紙を剥がす。
箱を開ける。
ひらがなとカタカナと簡単な漢字で彩られたビビットカラーのキャラクター図鑑と、まんまるでぴかぴかの、きゅるんとしたキャラクターのぬいぐるみが、箱の中にあった。

一緒にカードが添えられている。
筆ペンで、読みやすいように一字一字くっきりと間を開けて、よれよれなメッセージが書かれている。
「おたんじょうび、おめでとう  ばあばより」

確かに今日は、私の誕生日だった。
制服のリボンを外しながら、じっとカードを読んだ。
キャラクターのぬいぐるみを抱き上げる。
小さい頃はこのキャラクターが大好きだった。
もう過ぎた日だけど。

ぬいぐるみを箱の中に戻して、包装紙ごと、ゆっくり丁重に、プレゼントをずらす。
下から現れた机の表面に、スクールバッグを放り出す。
明日は確か、古典の小テストがあった。
きちんと勉強しておかないと。

スクールバックの中からスマホを取り出して、電源をつけながら、制服を着替える。
あのキャラクターが好きだったのは、今から何年前のことだろう。
確か、あのキャラクターに出会ったのは、あのコンテンツが始まってすぐの頃だったから……なんて考えながら部屋着を着て、スクールバックから単語帳と筆箱を取り出す。

もう私も高校2年生だ。
誕生日だからと、遊んでもいられない。
でも、そういうことを、おばあちゃんはもう知らない。

おばあちゃんの言動が怪しくなってきたのは、ちょうど二年前くらいのことだった。
ご飯を食べたことを忘れたり、牛乳を出しっぱなしのまま、牛乳を買いに行ったり…。
異常に気づいたお母さんが、おばあちゃんを病院に連れて行って…そこからはなんだか実感を伴わなかった。

おばあちゃんは、日が経つごとに過去へ帰っていった。
大好きだったおじいちゃんのお葬式の前の日に戻った。
近所の親友が、老人ホームに入る前の日に戻った。
おじいちゃんの足が悪化して、立てなくなった日に戻った。

そんなおばあちゃんを見ながら、お母さんが、誰に聞かせるともなく、ポツリといった。
「おばあちゃん、おじいちゃんが亡くなってから、いつも過ぎた日を想ってばかりだったもの。想い過ぎて、あの日に戻っちゃったのね」

おばあちゃんは、私たちにとっての、過ぎた日の中にいた。
過ぎた日から、おばあちゃんはいつも私たちに話しかけてきた。

おばあちゃんの過ぎた日の中では、私は入学したての小学生くらいのはずだ。だから、プレゼントで、こんなものを贈ってきてくれたのだ。
そこまで考えた時、私の頭に、小さな痛みと共に閃いた過ぎたあの日が思い出された。

私は、高校二年生。
だから、あの日のように、貰ったプレゼントに屈託なく、生意気に文句は言えない。
おばあちゃんが一生懸命、用意してくれたプレゼントに「もういらない!」なんて言えない。

あの過ぎ去った日の中で、悲しそうな、寂しそうな顔をして、小さくなったおばあちゃんの顔を覚えていたから。

おばあちゃんが覚えていなくても、私が覚えているから。

あの日、私は好きなキャラクターを「子どもっぽい!」と、友達に揶揄われた帰りだった。
おばあちゃんに、あんなことを吐き捨てて、プレゼントを放ったあの日のことは、ずっと私の心のどこかに引っかかっている。

おばあちゃんの哀しげな顔が、胸を刺す。

今日のプレゼントは、あの日のプレゼント。
入院中のおばあちゃんが用意して、お母さんが持って帰ってきてくれた、あの過ぎた日に受け取り損ねた、プレゼント。

過ぎた日を過ごすおばあちゃんは、私に“過ぎた日を想う”プレゼントを用意してくれたんだ。
それとは知らずに。

体がびくり、と一瞬で固まってしまった。
ゴーゴンに睨まれた時ってこういう感じなのだろう。
私は、プレゼントから視線を離せなかった。
足を動かせなかった。

おばあちゃん…。

涙も流せなかった。
私の中で嵐のように荒れ狂う気持ちを、必死に押さえ込んで、吹き荒れる感情を必死に宥めるだけで、精一杯だった。

おばあちゃん……、ありがとう。

ぼろり、と口から漏れ出た。
おばあちゃんの手書きのメッセージカードがぼやけて見える。
キャラクター図鑑の厚みが、ずっしりと視界に重い。

部屋は静かだ。
お母さんは、おばあちゃんのお見舞いに行っているから。
私は動けなかった。
カチカチに凝り固まってしまった私の肌が、熱い何かが目頭から滑り落ちるのを感じた。

家はしん、と静まり返っていた。
ぬいぐるみのまんまるな瞳だけが、過ぎた日を想う私の涙を、じっと見届けていた。

10/6/2024, 2:45:33 PM