氷室凛

Open App

 パキ、と、何かを踏んづけた音がして私は足を止めた。慌てて何を踏んだのか確かめる。

「……貝殻? こんな山の中に? それに、この国に海はないはずだけど」

 山中の森の開けた一画。私のいまいる場所。そこは一面の花畑になっていて、ただでさえ海とは程遠い雰囲気だった。

 そんなところになぜ、と首を傾げていると、またパキ、と音がした。森の奥からひとりの男性が現れる。
 白い肌に灰色の髪、色の薄い瞳。この国の人の典型的な容姿だ。
 顔に刻まれた皺は初老と言ってもいい年に見えたけど、ピンと伸ばした背筋からはまだまだ若さを感じられる。……そしてなにより、その目。瞳の色こそ淡い優しい緑だが、それを囲む目つきは鷹のように鋭く──視線だけで誰かを射殺せそうだ。

 そして彼はそんな視線を私に向け、

「見ねェ顔だ。どこから来た」

 あ、これは。ちょっとまずい。私は慌てて頭を下げた。少しくすんだ赤い髪の毛が跳ねる。

「隣国から魔法留学に来ている者です! えっと、これが証明書。お邪魔してしまって申し訳ありません、すぐに立ち去りますので!」

 魔法使いの住まう神秘の国。ライラプス王国。それがこの国の名前。
 高い山々に閉ざされたこの国は魔法という独自の技術を持ち、その技術の普及を渇望されながらも長年他国との交流をほとんどしてこなかった。
 そしてその理由としてあげていたのが──「魔人との戦争が続いており、他国との交流に割く余裕がないから」。
 ところがその魔人との戦争が終結したとかで、神秘の国はついに分厚い扉を開き、他国との交流を受け入れた。そして魔法を学びに隣国から留学にやってきたのが私、というわけだ。

 とは言え、国が開いたのはほんの30年ほど前のこと。この国の人間の異国民、いや異教徒に対する不信感はものすごく、王都にいてさえそれはビシバシと感じられる。ましてやこんな山奥のおじいちゃんだ。何をされるかわかったものじゃない。
 だからすぐに立ち去ろうとした、のだけど。

「──アァ。留学生か。どォりで見ねェ顔のワケだ。どうだ、魔法は使えそうか?」

 予想に反して彼の反応は温かった。鋭い目つきが少しだけ緩められる。

「あ、えっと。いや、なかなか……。期間も3ヶ月しかないのに、私、まだマナを感じることもできなくて。まだまだ道のりは遠そうです、あはは」
「そォか。その年からだとな」

 ライラプスの人々は幼いころから魔法に慣れ親しみ、空気中のマナを感じながら育つという。それに引き換え、私はマナとやらを習ったのもついこの前だし、年齢ももう20近い。
 自分で言うのもアレだけど私は学問に対してはかなり優秀で、だからこそこの留学生に選ばれたわけだけど……。魔法の才能というのは、勉学とはまた別らしい。

 だから私は、そうそうに研究の方向を切り替えることにした。

「あの。おじいさんはこの辺りに住んでるんですか?」
「おじいさん……。俺ももうそンな年か……」
「あ、やっ。お、お兄さんはこの辺りの人ですか!?」

 微妙に肩を落とした彼に慌てて言い直す。母国語じゃないから不安だったけど、ちゃんと意味は伝わったようだ。「気にすンな」と白い歯を見せる。

「この辺りの人間とは言えねェが……。どうした?」
「この花畑、貝殻が落ちてたんです。近くに海なんてないのに……。この辺りは魔王討伐の地としても名高いから、なにか関係があるのかもと思って。もしかしてこれも魔法ですか?」
「…………さすが、魔法留学に来る人間は優秀なモンだ」

 しばらく黙り込んだ彼は、また元の固い雰囲気に戻っていた。そしてこちらを見る目は、暗く、鋭く──私は思わず後退って尻もちをついた。パキッ。また貝殻が割れる。
 彼が1歩、2歩と近づいてくる。

「──悪ィな。怖がらせちまったか。目つきが怖いってよく言われるンだが、とうとうこの年まで治らなかった」

 ぎゅっと目をつぶっていた私が瞼を開けたときには、心配そうにこちらを覗き込む彼の姿があった。彼はそのまま私の隣に座り込んだ。

「その様子じゃ、魔人と魔王の話は知ってるのか」
「はい。この神秘の国は魔人と呼ばれる異形と1000年にわたる戦争を続けてた。その魔人たちを統べるのが魔王。そして30年ほど前、ついに勇者が魔王を討ち滅ぼした。ですよね?」

 魔人とか魔王とか、てっきりライラプスに伝わるただの伝説かと思っていた。国を開かない、魔法技術を独占するための方便かと。
 けれど実際にこの地に渡り、この国の人々と生活をしていると──わかる。
 魔人は確かに存在し、魔王は勇者によって倒されたのだと。

「勇者、か……」

 おじいさんはなんとも言えない表情をした。それは苦笑いのようにも見えたけど、どうしてそんな顔をするのか私にはわからない。

「そォだな。確かにここは魔王討伐の地。勇者はここで魔王の心臓に剣を突き立て、首をはねた。けど魔王は──最後に海を見たがってた」
「海? 魔王が?」
「そォだ。けれど勇者は、ついぞそれを叶えてやれなかった。それを悔やんだ馬鹿なソイツは、毎年海に行っては貝殻を拾い集め、己が魔王を殺したその場所に撒くことにした。アイツが少しでも海を感じれるように。──っつーのが、この山の中にこンな貝殻が落ちてる理由だよ」

 おじいさんは息を吐いた。私はその話を大慌てで書き留め反芻する。いまの話が本当なら、どうにも納得できないことがある。

「……勇者が魔王を悼んで貝殻を撒いたんですか? 彼らは敵同士なのに」
「そうだな、敵同士だった……。長い間を共にして、情が移っちまったのかもしれねェな」
「長い間を共に? それは、長い時間戦ってたって意味ですか?」
「さァな。実際のとこはもうわからねェ。1000年続いた戦いはあまりにも不毛で、あとにはなにも残らなかった。……俺はそろそろ帰る」

 彼が立ち上がり、私も慌てて顔を上げた。
 彼の立ち姿はやはり年齢を感じさせない立派なもので──もしかしたら若いうちはかなり鍛えてたのかもしれない、なんて思ったりした。

「オメェはどうする? 王都なら乗ってくか?」
「あ、いえ! ……その、よく知らない人の魔法陣に乗っちゃいけないって、授業で散々言われてて」

 いつの間にか彼の足元には魔法陣が広がっていた。青色。移動系の魔法。
 ……確か、呪文の詠唱なしに魔法陣を編み上げるのはかなり高度な技術じゃなかったっけ?

 私がぐるぐると考えている間におじいさんは緩く息を吐いて、少しだけ目尻をさげた。

「いい判断だ。魔法は便利な道具にも危険な凶器にもなり得る。知らない人間の魔法を信用するな。……ついでだ、もう1個教えてやる。貝殻はどうしようもねェほど本物だが、この花畑は魔法だよ」

  私は息を飲んで思わず辺りを見まわした。
 確かに、よく注意して観察すれば花畑の根本に緑色の魔法陣があるのが見てとれた。けど、こんなの……言われないと絶対にわからない。


「本当だ、よく見たら魔法陣がある……。でもこんなに広い範囲……」
「1000年続く戦争はなにも生まずなにも残らなかったが、勇者は最後にひとつだけ手に入れた。それが永遠の魔法だよ」
「永遠……!? 魔法は一時期的なもの、どんな高等な魔法使いが作ったものでも1ヶ月もすれば消えるって、授業で……」
「禁術のひとつに自動で周辺のマナを取り込み半永久的に続く魔法がある。どうしようねェほど馬鹿なソイツは、自分が殺しちまったガキのために永遠の魔法の花畑を作り、自分が生きてる間は毎年海の形見を見せようと決めたンだと。……アァ、本当に、どォしようもねェ大馬鹿野郎だ」

 青い魔法陣の色が濃くなる。彼が行ってしまう。
 私は最後にひとつだけ、知りたかったことを叫んだ。

「ま、待って! あなたの名前を教えて!」
「アルタイル 」

 え。待って。
 それ。

 最後の勇者と同じ名前。

 私がなにか言う前に彼はまた白い歯を見せて消え去った。
 貝殻が輝き花が咲き乱れる中、魔法の残滓の青い燐光がキラキラと舞っていた。



出演:「ライラプス王国記」より イル
20240905.NO.44.「貝殻」

9/6/2024, 3:25:23 AM