『言葉にできない』
言葉にできない気持ちや景色なんて、もう無くなってしまった気がする。
自分の見た事、考えた事、描いた事、感じた事。
言語化できない事など、最近は無いように思える
自分の気持ちを例にとっても、今の感情、その感情が生まれたきっかけ、その感情が存在する理由、その感情を持つ脳に育った背景。
全てを、誰にでも簡潔に説明できる言葉で、言語化できてしまう。しかもご丁寧に、イメージを把握しやすい比喩や、身体感覚を添えて。
つまり、何かを書き記し、相手に理解できるように説明できる、という点においては、言葉にできない事など、この世に無くなってしまったとすら思う訳だ。
そのためか、文章を書く事は心を踊らせる営為であったはずだが、最近は変換作業のように思えてしまって、毎日の「書く習慣」も、途切れ途切れになりつつある。
それでも、書いている理由がある。
それは表現だ。
説明の言語化は無機質だ。
だがそこに添えられる表現が、形を決め、色を付け、温度を与え、そして人々の心を震わす。
説明は納得を呼び寄せるものだが、表現は感動を生み出すものに他ならない。
事実として、最近、文章を書いていて最も心が踊る瞬間は、いい比喩や表現を思いつかない時なのだ。
今この瞬間に伝えたいテーマを最大打点で届けるためのレトリックを、何とか探り当てようと闇の中を彷徨う時間。
どこにあるか分からない。
そもそもそんな表現は無いかもしれない。
というより見つからなくとも構わない。
形にならない言葉を必死に模索する、その探訪行為それ自体にこそ、真なる鼓動を感じているのだから。
あぁ、なるほど、そうか。
つまり言葉にできないという事は、文筆家にとって、最も幸福な出来事であると言えるのかもしれない。
そして探していた言葉を見つけ出す事は、至上の喜びであるに、違いない。
4/12/2026, 9:56:52 AM