今宵

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『魔法』


 鏡を見て、テオは深いため息をついた。
 テオの家は、代々魔法使いの家系だ。両親も、2人の兄も、両親の両親——つまり4人の祖父母もみんな、魔法が使える。彼らの吸い込まれるようなターコイズブルーの瞳が、その証だった。
 だが、鏡に映るテオの瞳に、その輝きはない。テオの目は、光を通さない。真っ暗な闇の色なのだ。
 階段を上がってきた足音がテオの部屋に迫ってきて、やがて止まった。そして、部屋のドアが開いた。
「テオ、何してるの。早く学校の支度をなさい」
 母が鋭い眼差しでテオを見る。
「でも、具合が悪いんだ。だから今日は休む」
「バカなこと言わないで、テオ。朝食をおかわりまでして、具合が悪いなんてあるもんですか」
「それは……たった今具合がおかしくなったんだ——とにかく今日は休むから」
 テオは母を部屋から押し出して、素早く部屋の扉に鍵をかける。そして、部屋の洋服ダンスを力ずくで押して、その扉の前を塞いだ。鍵を開けることなんて、魔法を使えば容易いからだ。
 母を追い出してから程なくして、今度は父がテオの部屋の前にやってきた。
「テオ、早く出てきなさい。お前は人より努力をすべきだというのに、学校をズル休みするなんて、何を考えているんだ」
 父が指を鳴らす音がするのと同時に、入り口の鍵が開く。目の前に立ちはだかったしょぼくれたバリケードを見て、父が口を開く。
「こんな事をしても無駄だと分かってるだろ。これ以上、父さんの手を煩わせないでくれ」
「だったら放っておけばいいじゃないか! 父さんは兄さんたちがいれば十分なんだ。あぁ、そうか。きっと僕だけ父さんたちの子どもじゃないんだ。そうさ、きっとそうだ。じゃなきゃ、僕だけこんな目をしていて、魔法が使えないなんておかしいよ。本当の親でもないのに、そんな風に僕に構わないで!」
 とっさに近くにあった手鏡を手に取り、それを怒りに任せて部屋の隅に投げつけた。
「いい加減にしないか! あぁ、分かった。そこまで言うなら好きにしたらいい。学校も行かず、好きなだけここにこもっていればいいさ。お前の将来がどうなろうと、私がお前の親でも何でもないなら、関係ないからな」
 そう言い残した直後、部屋の扉が音を立てて閉まった。
 自分に、魔法が使えれば……
 何度だって思ってきたことを、再び考える。そして、またため息をつく。
 部屋に散らばったガラスの欠片から目をそらすように、テオはベッドに横になって、その目を固くつぶった。

 
 テオが階段を降りてリビングに行くと、家族は誰もいなかった。
 渋々片付けて、持ってきたガラス片を、ゴミ箱の隣に大ざっぱに置く。テオはそれを時間をかけて、1つ1つ手で集めた。これも魔法が使えれば一瞬で片付くのだなと、癖のようにいちいち考えてしまう。
 テオはぐるりと辺りを見回した。静まり返った家に、テオ以外の気配はしない。両親は仕事に行ったのだろうし、兄も2人とも学校に行っている時間だ。
 今頃学校に行っていれば、テオはまた嫌な思いをしていただろう。クラスメイトもみんな魔法を使える生徒ばかりなのだ。そこで魔法を使えないテオが浮くのは当たり前のことだった。
 父も母も、そんなことは気にしていてもしょうがないと言う。気にしたところで何も変わらないのだから、魔法を使わずとも最低限生きていけるように、学校をいい成績で卒業しなさいと。
 テオが学校で感じる辛さを、魔法が使える両親には分かるはずもない。かと言って、家にいても肩身が狭いのは変わらなかいのだが。
 こんなに広い家に住んでいるのに、テオは自分の居場所がここにはないと思えてならなかった。

 望んだ通りに学校を休めたものの、家で1人過ごす時間は退屈で仕方がない。いつもは何時間でも時間をつぶせるテレビやゲームも、兄の魔法がなければ動かせない。他にも、この家のほとんどの物に魔法が必要だ。だから、テオはただ部屋でぼーっとして時間をつぶしていくしかなかった。
 そうやってしばらく経った時、ふと思い立って部屋を出た。
 この際だから、誰もいない隙に家中を探索してみよう。
 バレたら絶対に怒られるなと思いながら、上の兄の部屋、そして下の兄の部屋を物色した。他にも、物置きに入って何か面白いものはないかと探したり、客間になっているベッドに寝転んでみたりしてみる。
 一通り満足して自分の部屋に戻ろうとしたが、テオはそこで足を止めた。
 目の前にあるのは父の書斎だ。入り口には魔法で鍵がかかっていて、父しか入ることができない。テオはもちろん、兄たちもは入ったことがないらしい。
 だが、テオは一度だけ、父がそこに入る瞬間を見たことがある。父の呪文と仕草を、テオはこっそりと眺めて、目に焼き付けた。だから、きっとあの時の再現はできるはずだ。
 だが、問題はそこじゃなかった。唯一にして最大の問題、それはテオに魔法が使えないことだ。
 テオは期待半分、ダメ元半分で、父を真似して呪文を唱えた。そして、ドアの前にかざした手を、弧を描きながらスライドさせる。
 テオは耳をすませた。成功していれば、鍵が開く音がするはずだった。
 音は——しなかった。
 そう肩を落としたのも束の間、後ろから声がした。
「テオ、そこをどきなさい」
「え!?」
 声のした方を振り返ると、そこに父が立っていた。
 テオがしたのと同じように、父が呪文を唱え、手をかざす。
そして、ガチャリという音がして、扉が開いた。
「よし、入りなさい」
「え、でも……この部屋は、父さん以外入っちゃダメなんじゃ……」
「あぁ、そうだな。だから今回だけ、特別だ」
 父がテオを見て言う。
「テオ、お前に見せたいものがある——」

「父さん、これって……」
 書斎に入り、父に手渡されたのは、1枚の写真だった。
 写真に映るのは、若い頃の父ともう1人、父によく似た男性だ。
 それを見て、テオは息をのんだ。その男性は顔が父にそっくりなのに、瞳はテオと全く同じ色をしていた。
「ここに写ってるのは、父さんの弟なんだ。弟のアスタと父さんは、昔からとても仲が良かった」
 父に弟がいたなんて知らなかった。家族の誰からも、そんな話を聞いたことは一度もない。
「もしかして、父さんの弟も……」
「あぁ、そうだ。アスタも魔法が使えなかった。そんなことは初めてだったんだ。みんな当たり前に魔法が使えたからな。だから、父さんの父さんはアスタを家から追い出した。そして、アスタの名前を話に出すことも、一族のタブーになった」
「じゃあ、今その人は——アスタさんはどうしてるの……父さんは仲が良かったんでしょ……?」
「そうだな。確かに私たちは仲が良かった。でも、父さんはアスタを守れなかった。そして、アスタも家族に逆らうことなく1人で出ていってしまった」
 それを聞いたテオはうつむいた。うつむいて、拳を力いっぱい握りしめた。
「父さん……父さんも僕を追い出したいの?」
 テオがそう言うと、大きな手のひらがテオの頬に触れた。そして、その手がテオの視線を上げる。
「なぁ、テオ。お前は間違いなく私の子どもなんだ。魔法が使えないことなんて、関係ない。お前は父さんと母さんの大切な子どもなんだよ。もちろんアスタだって、父さんにとっては、今でも大事な家族さ」
 父さんが「ほら」と、机の引き出しから手紙の束を引っ張りだす。
「これは全部、今までアスタと父さんがこっそりやり取りしてきた手紙なんだ」
 テオはそれを手に取った。書かれた名前は確かに父さんの弟の名前で、そこには住所も書かれていた。
「テオ、お前に頼みたいことがある」
 父さんの視線の先には、真新しい手紙が1通。
「あれをアスタに届けてくれないか」
「え……僕が……?」
「あぁ、お前に頼みたいんだ。アスタは今、魔法なんか使えなくても、1人で立派に生きている。そしてテオもまた、アスタのように強く生きていくんだ。分かるか、テオ。父さんはテオに、魔法を使えないことなんか関係ないくらい、強く、たくましく、生きていってほしいんだ」
 頬に触れる父の手に力がこもるのを感じて、テオの深い黒色瞳に、たちまち涙があふれた。
「うん、分かった。分かったよ、父さん」
 泣きながら、テオは何度もうなずいた。父がテオをぎゅっと抱きしめる。
 テオは、その瞬間、父さんは間違いなくテオの父さんだと思った。瞳の色が違っても、魔法が使えなくても、テオは心から愛されている、父さんの息子なのだ。そう思った。

2/24/2025, 10:33:59 AM