青を隠した灰色の雲を見上げ、溜息を吐く。
雨が降りそうで降らない、中途半端な天気に気分が沈んでいく。逸らした視線が公園の時計を認め、益々憂鬱になり項垂れた。
待ち人はまだ来ない。約束の時間はすでに十五分も過ぎているが、一向に来る気配はない。
いつものことだ。彼女が時間通りに待ち合わせ場所に辿りついた試しがない。
今度は何に巻き込まれているのか。何度か忠告はしているものの、お人好しな性格はそう簡単には変わらないのだろう。
「困ったね」
思わず嘆息するものの、彼女の優しさに惹かれ一緒にいる身としては強く言えない所だ。
もう一度空を一瞥し、肩を竦めて歩き出す。
待ち合わせに来ない彼女を迎えに行くのもいつものこと。込み上げる溜息を飲み込んで、彼女を探しに公園を出た。
しん、と静まり返った道を歩いていく。
辺りには誰もいない。見上げた空は待ち合わせ場所で見た時と同じような雲に覆われているものの、不気味な程に変化がなかった。
絵や写真のように、雲に動きがない。もう一度辺りを見回せば、空と同じく固まったまま微動だにしなかった。
このまま空が落ちてきそうだ。雲の重苦しい灰色を見ていると、そんな暗いことばかり考えてしまう。世界から切り離されて閉じられたこの空間は元には戻れず、潰され消えるしかないのだろう。
「――馬鹿みたい」
そんなことはあるはずがないと、頭を振る。先ほどから気分が沈みおかしなことを考えているのも、中途半端な空のせいに違いないのだろう。八つ当たり気味に考えながら、足早に彼女の元へ向かい歩いていく。彼女の居場所に心当たりはないものの、耳を済ませれば微かに聞こえる音の方へ向かえば出会えるような確信があった。
「今度は一体何に巻き込まれているんだか」
思わず乾いた笑いを溢しながら、困ったものだと繰り返す。泣くような、何かを怒るような声に足を速めれば、脇道の向こう側に見慣れた彼女の背が見えた。
「あ……ごめん。待ち合わせしたのに」
こちらに気づいた彼女が、眉を下げる。それに気にするなと肩を竦めながら、彼女にしがみつく小さな影に眉を顰めた。
震える体は泣いているかのように見えるのに、泣き声は聞こえない。彼女の側に寄れば、必死に唇を噛み締め泣くのを耐えている幼い少年の横顔が見えた。
「ごめんね。一人きりで寂しそうにしているのを見てたら、放っておけなくなっちゃって」
「まあ、待ち合わせに来ないのはいつものことだし……変な争いに巻き込まれているみたいな状況じゃなかったからよかったというか」
思わず本音を溢せば、彼女も泣きそうな顔になってしまった。ごめんと俯く姿に慌てて、話題を変えるべく声を上げる。
「それより、この子どうしたの?仲間とはぐれたとか?」
「ぼく、わるくない……」
今まで黙っていた少年が、こちらを向き呟いた。
「わるくないもん。ズルした方がわるい。なのに、みんなぼくがわるいって言うんだ……」
一度口にしてしまえば止まらなくなってしまったのか、少年は悪くないと繰り返す。
背を撫で慰める彼女を見ながら、飲み込めなかった溜息を溢す。事情が何も分からないが、ずっとこのままという訳にはいかない。仕方がないと膝をつき、少年と目を合わせた。
「悪くないってちゃんと皆に伝たの?」
「どうせ信じてくれないよ。ぼくはじぶんで雲を作ったけどあいつはお山の方でできた雲を持ってきただけだって前に言ったけど、信じてくれなかったもん」
きゅっと唇を噛み泣くのを耐える少年に、大方の事情を察し眉が寄る。
重苦しく物憂げな空模様。誰もいない、止まったままの空間。
随分と業が深い。一度や二度ではないのだろう。
「信じるよ」
目を合わせ、はっきりと口にする。
大きく見開かれた目にほんの僅かな期待が灯るのを見て、苦笑しながら頭を撫でる。
「私も信じるよ」
「ほら、信じているのが二人になった……どうする?望むのなら、君が嘘をついていないって説明してあげるけれど」
そう言って少年の背後を指さした。
迎えに来たのだろう。先ほどから青年がこちらの様子を伺っていた。
「――いい。大丈夫」
青年の姿を見て、少年の目から期待が消える。代わりに諦念を浮かべて彼女から離れ、立ち上がる。
「ありがとう。信じてくれて嬉しかった」
丁寧にお辞儀をして、引き留める間もなく少年は青年の元へと歩いていく。青年の差し出す手を見ない振りして、そのまま姿が揺らぎ霞み消えてしまった。
「あの子、最後まで泣かなかった」
「泣けなくなってしまったんだろうな」
「大丈夫かな。心配だよ」
少年が消えた方向をいつまでも見ながら、不安げに彼女は呟いた。
今にも泣きそうな彼女の髪を風が揺らし、過ぎていく。遠くから車の音や雑踏が聞こえ、戻ってきたことを感じさせた。
見上げる空は、変わらず暗い雲に覆われている。しかし先程よりも雲の淀んだ灰色が薄くなっているように見えた。
「今度会ったら、三人で遊びに行こうか」
「え?」
雲を見ながら、気づけばそんなことを口にしていた。
驚いたように息を呑みこちらを向く彼女を見つめ、笑ってみせる。
「嫌なことを忘れるくらい、楽しいことをして美味しいものを食べればいい」
「そう、だね……また会えたら。今度は一緒に」
頷いて、彼女は笑う。
「じゃあ、次に会えた時のために、たくさんいい所を探しに行かないとね」
そう言って手を差し出す彼女は、やはり底抜けのお人好しだ。呆れながら手を取り、態とらしく溜息を吐いてみせる。
「本来の待ち合わせ時間はとっくに過ぎているけどね」
「そういうこと言わないでよ。意地悪」
途端に気まずげな顔をする彼女に笑いかけ、手を引いて歩き出す。
お人好しな彼女と関わっていければ、きっといつか少年も心から笑い、泣くことができるのだろう。今まで関わってきたモノたちのように。
そんなことを思いながら空を見る。次に会えた時にはきっと、物憂げな灰色は白に染まってくれるのだろう。
20260225 『物憂げな空』
2/26/2026, 9:44:22 AM